2012/06/24

『僕は友達が少ない』 8巻 感想

はがない8巻読んだのでその感想。ネタバレ全開なので注意。

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めちゃくちゃ面白かったですね。ゲスい笑いを浮かべながらサークラ展開を眺めているのが楽しすぎる…!しかも綺麗に〆ているにも関わらず、次巻への期待を煽ってくれるという。ここまで読んで良かった。

7巻ラスト、理科による告発「だって理科たちは――(俺注:もう友達じゃないですか)」に対して、「――えっ? なんだって?」と答えることを「選んだ」小鷹。それは隣人部というぬるま湯を選択したことを意味していたわけです。隣人部というゆるま湯に浸かり続けるには、「もうとっくに友達になってしまっている」という誰の目にも明らかな事実を否定し続けなければならなかった。

これは、「友達」は積極的に「作る」ものだ、という欺瞞を信仰しているからこそ浮かぶ考えです。でも、「友達なんてものは、自然にできるものを言うんです」 by 夜々。小鷹や、あるいは夜空がそれを認めず、友達を「作る」ための練習をする部活としての隣人部を立ち上げて活動しているのは、彼らには「自然と友達ができた」経験が圧倒的に不足しているから。

自分に「友達」がいないのは、自分に「友達」を作る技術が不足しているから、というのは慰めです。技術論に落とすことで、自分の本体に責任を押し付けずに済むわけですから。でも、その慰めのせいで、理科の指摘「もう友達じゃないですか」を受け入れられなくなっている。それを認めることは、隣人部の存在理由を否定することだから。

7巻ラストでの選択のとおり、小鷹は8巻でもゆるま湯につかり続けます。だけど、それは隣人部室での活動(だらだら)中に、星奈から漏れでた告白の言葉「あたし小鷹のこと好きだから」で崩れ去ります。

こっからは見事なサークラ展開。星奈の告白に答えることもなく、逃げ出すところから始まり、何かと理由をつけて隣人部に向かわないようにしたり。向き合うことから逃げ続ける。要するにヘタレ。だけどねえ、めっちゃ共感できるんだよねえ。かわいい女の子に囲まれて、毎日だらだらと楽しい日常を過ごして。それはずっと望んでいた、「気づいたら友達ができていた」世界なわけで。それが壊れかけている。よりにもよって自分が原因となって。向きあって壊れてしまっていたら?と思うと怖くて隣人部のドアを開けることなんてできないでしょう。見なければ知らないフリができる。見ないうちは、壊れていないかもしれないというひどく都合のいいifを抱きつづけられる。

でも、それも幸村の言葉「夜空のあねごと理科どのはこの数日部室に来ておりません」によって不可能になった。見てしまったからには、何かを選ばなければならない。逃げるか、引き受けるか。

そして、「プロローグの終わり/羽瀬川小鷹が主人公になるとき」と題された最後の章。タイトルも内容も素晴らしい。7巻ラストとの対比よろしく理科に再び屋上に呼び出される小鷹。そこで理科に本音を抉られ、本音をぶつけあう。みんながありのままで居ることを許される場所としての隣人部は、小鷹にとっての「奇跡」のような場所で、それを守りたいという小鷹。それに対して、理科は「それは間違っている」という。なぜなら、それはすでに、小鷹が鈍感なフリをして、自分を偽って、がんばって維持しなければ成り立たなくなってしまっているのだから。
「そんなやっすい自己犠牲で守られてる世界なんていらねえんですよ! なめんなバカ!」
理科さいきょう。好きっすねこの発言とか素敵すぎる。本当に欲しかったのは何なのか。友達を作る技術?違う。とっくに友達になっている連中を友達じゃないと否定することで得られたありのままでいられるぬるま湯?違う。

友達が欲しかったんだ。

理科とぶつかって、ようやくこんな当たり前の前提に気づくことができた。自分が本当に欲しかったものを認識できた。だから、小鷹はもう前に進むしかない。今まで誰のことも「友達」と呼べなかった『友達が少ない』小鷹の第一歩は、この一言から始まる。
「………なあ、理科」
「俺と友達になってくれ」
プロローグがようやく終わりを告げた。自ら責任を引き受けた、主人公の登場によって。