2015/07/27

天気が良かったから竹原に行ってきた。

思い立って新幹線に乗ってみたものの、遠出感もなく、ここしばらくの疲れが溜まってたのかスマホにぎりしめて電書読んでんのか寝てんのかといった状態だった。目をつぶってりゃ完全に一人だし、福永武彦を読んでいれば客観視された「彼」の個室を感じるばかりである。うつらうつらとした中で左腕に感じる日差しに窓の外を眺めてみる。体感される温度と景色に強調されたズレ。

三原で居りて呉線のホーム。たまゆらの寒い先生のくれせんギャグを思い出しながら電車待ち。待ち時間それなりにあったのでホームの端の喫煙スペースへ。ちょうど屋根が途切れるあたりで、日向と日陰の境界がはっきりとしていた。さっきまでの車内の肌寒さを太陽熱に馴染ませるように日向側で街の様子を眺めてみる。メガネをかけたままくっきりと。人がぽちぽち歩いている。空も見てみる。快晴ですなぁ。そして、これはもう癖のようなものだが、メガネを外して何も見えない景色を眺める。夏の日差しは肌にくるねえ。

気が済んだのでメガネをかけ直し、縦ストライプのへそ出しルックなおっさんの腹が出ているのを横目に見ながら整列し、ワンマン列車に乗って竹原へ向かう。けっこう混んでんな。食材買い込みまくった集団はバーベキューでもするんだろうか。子連れの若夫婦は観光なのかイマイチ判然としない。学生さんもちらほらと。ぽってが竹原に戻るときに見た景色を見ているのだなぁという感慨はあったのかもしれない。

食材集団が忠海駅で降りて空いたので海を眺められる側の座席へ移動。しばらくぼけーっとしてたんだが、空いてる中俺の真横に座ってきた兄ちゃんが席で爪を切り始めたので2両編成のもう一方へ逃げる。そうこうしてるうちに竹原に着いた。どっかで見たことのある駅である。

「おかえりなさい」に迎えられた。スーツケースでも引いてくりゃよかったかもしれん。とりあえず移動中がまんしてた放尿の儀を執り行うために駅のトイレいったら男女わかれてんのかわからんくらいに開放的な感じで少し心配になったようです。悪い大人がいたら大変である。

とりあえず街並みが保存されている区間は置いといて駅前を適当に歩く。商店街は閉まっていたけど、スーパーなりホームセンターなりが駅から近い範囲にまとまっている。塾の類もけっこうありますな。マックもある。これは新しいやつですかね。よく知らんけど。けっこう人入ってんなー。

さらにぶらぶら。市立図書館がある。小さいけど児童向けコーナーが充実してるのかしらなどと思いながら適当に歩く。自転車屋がボロい。消火栓の白い標識。汗ひでえな。暑い。

だいたいこの辺りで来る前に感じていた不安はなくなった。町並み保存地区の景観の外側にあるものが見えてきたというか。まあ見えてきたら見えてきたでぽってはどこで服買ってんだろうとか髪切るときどうしてるんだろうとか思い始めてうろうろしだすので何がいいのかはよくわからないところではある。しまむらに巡礼してる場合ではない。下着コーナーは直視できませんでした(はぁと

ちなみに美容院は発見出来ませんでした。強いて言えばシャッターの閉まったパーマ屋があったが。ただまあ映画での髪型の変え具合はマジでやばいのでおしゃれ美容室とか発見してたら大変なことになっていた気もする。

んで、ようやく町並み保存地区へ。ひととおり聖地巡礼らしくアニメで映った場所。寺なりお好み焼き屋やりぽっての家なり写真館なりを点として確認する。あんまり人はいない。閑古鳥泣いてる感じの土産屋があった。まあ点として見ても特に思うところはない。場所を確認した後、ぽっての家からスタートして写真館前を通って高校へ向かうことにした。ぽっての家の前で時刻を確認。14:41。写真館は通学路の途中にあるのな(あの高校がモデルかは自信がないんですが)。ちんたら徒歩で活気のない店とか眺めながら向かってもせいぜい20分もかからない程度で高校着。三方を山に一方を海に囲まれた土地と相まってすごく狭く感じる。港のそばには工場がある。あまりにもどっかで見たことのある景色で少し驚いた。

海のそばの自販機で飲んだことのないスコールとかいうヨーグルト味の炭酸飲料を買ってみた。甘くてぬるい。しばらくぼけーっと海の匂いを眺めながら、最後は無理やり飲み干した缶をゴミ箱に捨てて駅に向かった。

2015/07/23

今日もやることがないので日記。

といってもやっぱり記憶がないので直近から遡ると雨にうたれながら歩いてたらメガネが泣いた。胸が泣いたくらいのことは言いたいものですな。

あとTL見ててスイカ食いてえなぁと思ったとか何か診断したらあなたは不誠実なヤリチンですみたいな診断が出たんだがあれはどういうことなのだろう。不誠実っていうか不真面目なんだよなぁ。俺はいつか真面目になる瞬間があるのだろうか。たぶんないだろうなぁ、とか。

たまにTL眺めてて思うのは、真面目に生きてて羨ましいなぁ(棒)みたいなことなんだよね。本人からしたらたぶん相当つらいのだろうとも思うのだけれど、ないものねだりからしてみれば羨ましいと思ってしまうこともある。真面目に生きたいというか期待をしてみたいというか。俺は俺を含めた誰にも期待したことがない(のだと自認している)ので。

現象なんだよね。俺を含めてすら。エロゲでなんだ選択肢だほにゃららぶんの1のヒロインだとか言われても、それがイカサマのないサイコロでなければ、全くもって意味を感じない。過去に戻ったところで今の俺と同一視できない彼は同じものを選ぶ。わかりやすく言えば、俺は選択肢を見たことはないし、選んだ結果としてここがあるとも思わない。選択の余地がない結果としてメガネに付着した雨があり、今はすっかり乾いてクリアな視界なわけです。

観測したいものがあるわけでもないのに。

というわけで目をつぶって布団に入りましょう。あ、歯を磨かねば。

2015/07/22

やることがないので日記でも書く。

とはいえ朝から遡る記憶力がないので直近からいくと、コインランドリーから俺の湿ったぱんつ等をゴミ袋につめてサンタクロースよろしく肩に担いで持ってきて干した。ハンガーが足りないので俺の湿った服の肩には俺のぱんつが乗っている。セルフ肩車である。絵が醜い。

そういえば最近肩車シーンみてねえなぁと思いだしたわけですが、そもそもエロゲをやっていないのであった。ピュアコネクトはあとアラサー巨乳支配人√が残っているわけですが、どうにもやる気が出ない。不思議ですね。不思議じゃねえな。実は部屋が汚かったり実はバイブを3種類もっててその日の気分に合わせてどれを使うか選んでたり(主人公はオナホを3種類持っています)してもすごくどうでもいい……。

すでに書くことなくなったというか俺は今日何したんだっけ。さっき相撲見てて白鵬が呆然としてたのは覚えている。ただ相撲も照ノ富士大関になって興味でて見るようになったのはいいんだけど、見てるうちにどっちかっつーと鶴竜のほうがいいなーと思い始めたらここ2日疲れてる感じだしつまらないので惰性で見てる状態。白鵬はおっかねえんだけどやっぱり疲れたおっさんだしたぶんあのひと支配人とおんなじくらいの年齢だよね。そりゃ興味わかねえわ。

支配人の話また出たのでピュアコネクトについてちょっと書くと、もえみん√が非常に良かった。「他者」というものに対する感覚が見事なんだよねえ。同じ街で生まれ育ったもえみんと主人公は、全く違うものを見て生まれ育った。家庭環境なり学力なり興味関心なりといったものが違えば、同じ街でもどこに行くかは変わってくる。牛丼屋に行くのか図書館に行くのか八百屋に行くのかコンビニに行くのか廃れたビリヤード場に行くのかバイトに行くのか大学に行くのか。行くというのはドアを開けるということだ。生活において背景としてしか認識されない、追憶の中でしか認識されないドアがある。そのドアの向こうは背景ですらない映らない景色だ。

隣りあった家であってもドアの向こうはわからない。ドアの向こうがわかるものは幼なじみと呼ばれる。そっちが空√だ。そこではドアの向こうがわかってもなお、背景ですらない映らない景色があると語られる。

もえみん√はもっと単純な「場所」に関する話。同じ街で生まれ育った、景色を共有しないモブ同士がバイト先で出会って、恋をする話。そして、彼/彼女らは彼女/彼らの景色を見る。そして、彼/彼女らは彼/彼女らの景色を共にする。

そして、おそらくありふれているであろう幸福の中でもえみんは幸福そうに笑うのである。

そして、俺はおそらくありふれているであろうだるさのなかでだるいのであった。

もえみんと付き合いてえなぁ。

なんだこの日記。