2024/02/08

サンクチュアリ2話まで

浅草キッドを見たくてネトフリ入ったのでついでにサンクチュアリを見始めました。

2話まで見た感想としては、めっちゃドラマドラマしてるというもの。ベタに青春をしてベタに若者をやって、ベタに人気の出そうな元ヤンで出自に暗いところがある力士を主人公にしてる。女性の使い方もそう。

ただ、明らかに良いのは、静止した映像の使い方(写真が印象的に使われているのもそう)。時間がリッチに使われていて、その一方で説明を省く部分が多い。ベタな部分をベタに描くから印象に残りやすくもなってる。ベタな部分で思考を省けるので、そうでない部分に観てる側として思考のリソースを割きやすい=気づきやすいってのもある。

いわゆる相撲部屋におけるかわいがりのシーンの動画としての力は強いんだけど、視聴を継続するほどではない。ここまでで出色なのは2話ラストの四股です。主人公の行き場のない感情がやっと行き先(大地)に向けられたというのが美しい。

何話あるのかどうなるのかも知らないですが、しばらく見てみようと思います。

2024/02/05

浅草キッド

浅草キッドを見た。

千春(門脇麦)の演技だけでも見る価値がある。彼女がタケを/自分を見る視線は、彼女の人生に居て、居なくなった人を見る視線として完璧だった。私達はたくさんの人に会うけども、人生に居る人は滅多に居ないし、自分を主人公にすることも全員ができるわけではない。

師匠(大泉洋)とタケ(柳楽優弥)の演技が特筆すべきほどいいは思わないが、再開のシーンで小遣いから遅れて師匠がボケるシーンは、彼のブランクも表現されているから素晴らしい。その後、いい服を着ている(つまり、残していた)こともタケがハイヒールを揃えた(つまり、覚えていた)のも。忘れなかったもの。

ラストのタップは気障で、気障ったらしくってぴったり。青春に粋は似合わないから。

2024/01/18

松本人志と太田光

文春の記事については触れません。この二人の対比についてつらつらと思い浮かんだことについて。

松本人志で一番印象に残っているのは『寸止め海峡(仮題)』のラストに流れていた言葉。

神が人間をつくったと偉ぶるなら
「それが どうした」
と、言ってやる。
オレは笑いをつくっている。

この傲慢さ、あるいは面白い奴が一番偉いという価値観、ルールメーカーとしての松本人志、俺の笑いを理解できない奴は笑いのセンスがない、という態度は数多くの(正誤は問わず)フォロワーを産んだ。俗っぽく言えば面白ければモテる、ということ。

一方で太田光の言葉で印象的なのは、太田上田での以下の言葉。

俺の中には一人の、一人のくたびれたサラリーマンを笑わすっていう、それが俺たちの役割だっていうのが俺の中にあって。
会社から帰ってきたくたびれたさ、サラリーマンかなんだかしんないけどさ、テレビつけるだろ? パッと映ったときに俺がさ「うわぁぁ今日も始まりましたー!」ってやってる。「こいつまたバカなことやってるよ」と「バカだなこの太田ってヤツはクソだ」ってチャンネル変える。
変えられちゃってもいいの。そういうことがその日常の一日疲れて帰ってきた時に、ふとその瞬間、「あぁ太田またバカやってる。俺のがマシだわ」って。そういう役割でもう十分だと思ってるの。

該当のYouTube。6分くらいから。
https://www.youtube.com/watch?v=eruD2nr_SSc

これは彼がよく言うピエロの凄さとも共通する価値観だけども、ピエロは一番偉くもないし、ましてや少年や青年の憧れにもならない。モテそうでもない。井口だったか鬼越だったかが言ってたけど「誰も太田光には憧れない」。

この二人の笑いは正反対で、だから太田光がサンジャポで

もし松本さんが、自分の今までの態度やなんかを、例えば玉座に座っていた王様が転げ落ちるという物語を、自分が面白いと思えるように作れるとするのであれば、その笑いこそが松本さんを救えると思うし。オレは、そういう意味でいうと、松本さんは笑いのすぐとなりにいると思う。

と語ったのは的を完全に外している。それは松本人志の笑いではないし、もしそれをしてしまったら、彼のファン(だった)ひとも彼に憧れたフォロワーは心底がっかりするだろうから。

あ、どうなって欲しいとかはないです。