2012/01/29

ゲーセンの話

もう忘れ去られたころなので、この話

ゲーセンで出会った不思議な子の話

について、というかこの話に対する反応を見て思ったことを書いておきます。

この話に対する反応を列挙してみると、

・初期・拡散段階での、「泣ける」「感動する」「実話」という反応
・やたら評判なので読みに行ったけど、別に面白くない

・まーた女の子を殺してオナニーか
・こんな出来の悪い作品で泣けるとかw
・ケータイ小説はダメでこれはOKなの?

・創作を実話って言うのは卑怯
・こんなレベルの低い作り話に騙される読者がアホ
・創作だろうが面白ければいい
・「やらせ」に怒ってたくせにこれを認めるとか矛盾してる

といったところでしょうか。

俺は話題になってから(カウンターが出始めてから)読んだんですが、物語そのものについては特に言うことはないです。いちおう全部読みました。実話か創作かについても別にどうでもいいです。「やらせ」問題と関連付けている反応も多かったんですが、「やらせ」に怒るのとこれを認めるのとは矛盾しないですよね?少なくとも俺は、「面白ければいい」文脈で「やらせ」を行うのにはそもそも怒っていないですし。創作を実話と言うのは情けないというのはわかる気がしますが、俺は創作者ではないのでそれによってこの物語の作者を責める気は全く起きませんでした。

ここまでは個人的にはどうでもいい話です。どうでも良くないのは、読者批判の部分。お定まりのレイプファンタジー云々と、感動したと言っているひとをバカにする態度。物語構造だけを抜き出しての批判もそうですね。

「人が死ぬ物語は嫌い」ってのはいいんですよ。それは個人の嗜好ですから。SFは読まないとか、犯罪小説は読まないとかと同じで。ただ、「人が死ぬ物語はクソ」といった時、それは批評になってしまう。だいたいさあ「人が死ぬ物語」ってどれだよ。構造に落としこむことで、どの一つの作品も指していない。感想述べるのは好きにすりゃいいけど、批判するなら真面目に読め。

そんで「人が死ぬ物語に感動する人間」をバカにする行為。それはやっちゃダメでしょ。それがいかに低レベルな話であろうとも。俺はそれが「一般的な」価値観においてどれだけ愚かな行為であろうと、それをバカにするのは嫌いです。AKBに貢ごうが、タバコを吸おうが、パチンコに金を突っ込もうが、課金ゲーに金を突っ込もうが、宗教にハマろうが、レイプファンタジーでオナニーしようが。俺がそれを批判するのは、他者(子供とか)に迷惑をかけたり、傷つけたりする状況に及んだときのみです。

だいたいさ、自分の価値観が他者のそれと同等に無価値なものだと知っていたらバカになんてできないと思うんだけど。メタな立場に立って自分の優等さを示して、そりゃあさぞかし気持ちいいんでしょうね。お願いだから、その精子を他人にぶっかけるのをやめていただけないでしょうか?

2012/01/25

『明治緋色綺譚』1~2巻 感想

DAIさんの紹介記事↓を読んで購入した『明治緋色綺譚』1~2巻の感想です。

遊郭から身請けされた少女と青年の年の差恋愛、『明治緋色綺譚』
http://dai.at.webry.info/201201/article_5.html

鈴(身請けされた少女)かわいいですね。設定では小学生とのことです。10さいくらいですかね?ちっさい。遊郭に売られた元華族の少女ということだったので、もうちょっと「弱い」キャラを想像してたんですが、そんなことは全く無かったです。親に捨てられた傷とか、遊郭で(禿として)いろいろ汚いものを見てしまったこととかは、影響は与えているんですが、それが核ではないです。

遊郭に売られた体験によって彼女が身につけさせられたのは、年齢に不相応な賢さと、自分は女であるという自覚です。賢すぎてドツボにハマったりするタイプだと最高だったんですが、鈴は鋭いし行動力もあるので基本的にそんなことはないのが少し残念。自分は女であるという自覚については、プライドの高さと相互作用してすごくかわいいものを生み出してます。津軽(身請けした青年)が子供あつかいすると「子供じゃないもん!」とか言っちゃいます。毎話言ってるんじゃないかというぐらい頻発するので実に楽しい。見た目は完全に子供なのに「やらしい目で見ないでよね!」とか言うのとかかわいすぎる…!

賢くて行動力があるヒロインってのは結構みかけますが、それがちっさいからだに詰まってるといった感じ。でっかくなるとふつうになってしまうので、彼女が成長するかどうかは結構重要だと思うんですが、残念ながらほぼ確実に成長すると予想されます。物語中で出会った少年が成長して帰ってくることを匂わす描写とか、あとがきでの作者の言葉とかでフラグが立ちまくってますので要注意。個人的には身長的にでっかくならなければOKなので、それを祈りながら読み続けることにします。

ちなみに津軽さんは時々不審な行動をとりますが、ロリコンではないようです。一話冒頭で、毎朝鈴に起こさせていることが明かされたときは「こいつ…!」と思いましたがたぶん違うはず。ロリコンどころか性欲すらなさそうな男ですね。年齢は20代とのこと。この兄ちゃんが頭も切れるし所々で異常にカッコいい台詞を吐くもんで、鈴に感情移入しながら読んでると惚れそうになって困ります。少女漫画読むと毎回これやっちゃうんですが、たまにしか読まないのですぐ忘れる…。いや津軽にうひょーってなりながら読んだほうがより楽しいのは確かなんですが、うーん…

作品全体について言うと、鈴も津軽も賢いおかげで読んでて不快な部分が全くないし、鈴は津軽に早い段階でベタ惚れして女の子女の子してくれるのでかわいい成分も安定供給されます。絵(特に外出時の鈴の服装と慌てふためいたときの口!)もかわいいです。ただ、基本的に鈴視点で描かれているため、鈴に感情移入して津軽に悶えられるかどうかで評価に結構差がでる気がします。

基本的に鈴視点で進むんですが、唯一の例外が2巻ラストに収録されているお話で、これの出来が素晴らしい(単に読み手の立ち位置の問題である)。これ読み切りだったらしいんですけど、ストーリーとしては津軽と鈴が出会って身請けするまでの話で、この話だけは津軽視点で進みます。あと、DAIさんの紹介記事では身請けした理由は謎だという感じで書かれてますが、実際にはこの話で理由が明示されます。

津軽っていうのは呉服屋の若旦那で、子供のときから恵まれていたひとです。そういった境遇で育った賢しい若者にありがちな話ですが、欲望というものが欠落している。そんな兄ちゃんが遊郭でのある事件をきっかけに初めて「だいじなもの」を手に入れた。その「だいじなもの」が鈴です。

津軽は彼女の可能性に価値を感じた。まだ子供であるということ、年齢に不相応な賢さ、そしてこれが一番大事なんですが、彼女自身が自分の未来の可能性を信じているということ。これらの要素が津軽に、鈴の可能性を潰してはならない、その未来を見てみたい、と思わせた。こうした可能性は生まれたときからレールにのせられていた津軽には決して持つことができなかったものです。

津軽はひょっとしたら鈴の賢さに自分を重ねているのかもしれません。ただ、それが所謂クソ親みたいなものに結びつくことは決してない。彼が価値を見出しているのは可能性そのものなので、可能性を減らすだけの強制は最も忌むべきものだから。「紫の上」とは全く異なります。水をやって眺めるだけですね。

こうした態度は、鈴が規定されたいと願ったときには対立するので、その辺で話を膨らませたりするのかしら、といった印象です。まあまだ全然わかんないですけど、津軽から鈴を呉服屋の嫁として規定しようとすることはありえないので、鈴が(プライドが邪魔しつつも)いろいろ頑張る方向で物語を引っ張る俺得展開になるんじゃないかと期待してます。あと身長は津軽の肩より低いところで何とか成長を止めていただければ…お願いします…

2012/01/17

双熾が妬ましい(漫画『妖狐×僕SS』 感想)

さて『妖狐×僕SS(いぬぼくシークレットサービス、以下いぬぼく)』のアニメ一話見てりりちよ様に一目惚れしてしまいまして即座に原作漫画全巻買ってきて読んだのでその感想です。


まず特にかわいかったシーンを抜粋。

・普段は「無駄に虚勢をはって悪態をついてしまう」のに、不意をつかれてキョトンとした素の表情になるりりちよ様かわいい。

・はだかYシャツ。なんでそんなにボタンをあける必要があるんだ。これデフォルトみたいです。素晴らしいですね。あのYシャツは何日に一回洗うんですかね。

・シャツの裾をギュッと握りながら双熾のほうをチラっと見上げるりりちよ様かわいい。この作者さんは芸が細かくていいですねー。

・女の子座りして太ももで両手を挟んじゃうりりちよ様かわいい。指がどこに入っているのか心配ですね。あと唐突ですいませんが、太もも合わせたときに股下にできる隙間でイライラ棒をやるときっと俺は発狂すると思います。

・スカートをたくし上げるりりちよ様かわいい。アニメではカメラさんがんばって下さいお願いします。たくし上げにもいろいろありますので注釈つけておきますと、ここのは「恥じらい有り」「伏し目」「赤面」です。ここあ先生本当にありがとうございました。

・眼鏡かけたりりちよ様かわいい。俺は眼鏡属性ないはずなんですが…

・12さいのりりちよ様かわいい。肩甲骨に噛み付きたい。

これは二巻の内容ですが、12さいのりりちよ様と、今のりりちよ様との対比がすごくいいです。まだ誰にも自分を肯定されたことのない、猫背で、人の目を見ることのできなかった女の子が、双熾に出会って真っ直ぐ立って、虚勢でなく強い目ができるようになった。ページ変わりでぶち抜きで描かれる真っ直ぐな立ち姿は見事。

それと非常に重要なことなんですが、ちょっと12さいから15才までの成長が激しすぎやしないですかね?心配です(何が

あと特筆すべきは三巻ラストのパンチラですね。実にエロい。ガーターの食い込みで表現された太ももの柔らかさ+絶妙な見え方。パンチラってのは本来動詞ですから静止画はすべてパンモロだ!なとど主張してましたが撤回いたします。あれは正しくパンチラです。めったにパンツが見えない漫画だからなおのこと嬉しい。

とにかくこんな感じで絵が丁寧なのがすごく良い。ストーリーについても四巻ラストで大きく動くので楽しめます。りりちよ様と双熾の心情描写が丁寧なのもいいですね。新刊でたら買うと思います。しかしアニメはどこまでやるんですかね。切りの良いところが無かった気がするんですが。


…とまあここまでがきれいな(?)サガさんの感想です。

以下はネタバレ有りでちょっと(変態的な意味でなく)見苦しい内容になります。すいません。










三巻でりりちよ様が双熾に告白するシーンはヤバいです。脳が焼けました。自分の思いを真っ直ぐ誰かにぶつけたことなんてなかったから、告白するのは怖い。怖いけど何とか気持ちを押し出す姿がかわいすぎる。相手の反応を見るのが怖いから目を閉じて、胸の前で手を握りしめて勇気を振り絞って。それでも声はほとんど出ない。これ受けて双熾がりりちよ様をまさに「折れるほど」抱きしめましたけど、そりゃあんなもんくらったら当然ですよね…



ただ、結ばれるまでは良かったんですが、二人が結ばれた後から見るのがだんだんつらくなってきました。身勝手な話ですが、結ばれて欲しくなかった、と思ってしまった。いや、りりちよ様が双熾に惹かれるのは当然だと思いますし、二人の思いの強さも丁寧に描写されていたので、物語としては結ばれたことにもその後の二人にも文句はまったくないです。だからこれは単なる俺のわがままなんですが、なんで俺が双熾じゃなかったんだろって思っちゃったんですよね。俺もりりちよ様に告白されたかったし、りりちよ様を抱きしめたい、と思ってしまった。

まあでもそんなことは当然ながら叶わないわけで、ふつうの物語では当たり前すぎて意識すらしません。俺は物語の外にいる傍観者ですから、二人の物語を眺めてニヤニヤしてればいいわけで、実際たいていの物語ではそうしてます。で、必要に応じて双熾に感情移入したり、りりちよ様に感情移入したりする。ところがなぜかこの物語ではそれが上手くできなかった。

この理由について一応自分なりの仮説を書いてみますが、ただの言い訳かもしれません。

物語開始から暫くの間は、双熾は確かにりりちよ様を欲望してますが、それでも見返りを求めてはいない。それは信仰と呼ぶべきものです。これは読者あるいは視聴者としての俺が立っている場所と極めて近い。ここで俺は勘違いしてしまったんだと思います。双熾と俺は同じ場所にいる、と。双熾と俺との間には明確なステージの差があるはずなのに、それを忘れてしまった。

だから双熾がりりちよ様と結ばれたときに、俺は「置いて行かれた」と思ってしまった。同じ場所にいた双熾が、俺には決して辿りつけないところに行ってしまったと思って嫉妬してしまった。嫉妬というよりは妬みが正しいかな。勘違いも甚だしいんですけどね。はなっから同じ場所になんて居やしなかったんだから。

妬みっていう感情は自分と近い人間に対して抱きやすいものです。ビル・ゲイツを妬むにはそうとう自己肥大する必要がありますが、かつての同級生を妬むのはそれに比べてずいぶん簡単です。自分と同じところにいた人間が、自分の欲しいものを手に入れたときにひとは妬む。まさにこの構造がこの物語を読んでる時の俺にあてはまっちゃったんだと思います。

いや完全に俺がアホだったっつー話ですが、正直なところでこんな感じで読んでてけっこうモヤモヤしました。アニメ見る時は同じ轍を踏まないようにしようと思うんですが、ダメかも知れません。ああ双熾が妬ましい…

あ、俺みたいにアホなことしなければ凄く楽しめると思います。

最後にひとこと

・四巻のキスシーンで唇ぎゅっと閉じるりりちよ様かわいい

2012/01/12

ほなみんがエロいのが悪い!(ゆのはな穂波√感想)

ひどいタイトルですいません…怒られそうだなこれ

ホワルバ2で荒んだ心を癒そうと思ってゆのはな再プレイしたんですが、拓也の性格の良さとか街の雰囲気とかに癒されて心穏やかでいられたのは最初のうちだけで、ついつい白詰茶房に通いつめてしまい穂波√に入ってからは動悸息切れ高血圧の三大症状が出続けてかなり疲れるという本末転倒っぷりです。

このエントリはほなみんの素晴らしさを後世に残すために書かれたものですが、いちおう先に真面目な感想も描いておくと、シナリオはフツーにいいですし、あと特筆すべきはいちゃいちゃしてるシーンと真面目なシーンでテキストの良い意味での落差ですね。ほなみんに狂ってるときにはあれ程ひどいことになっておきながら、川辺でのキスシーンだとかラストのゆのはが還るあたりとかは凄く引き締まってます。どっちも引き立てられててすごいなーと。

あと拓也やっぱりカッコいいですよね。直前にホワルバ2の春希見てたせいで補正かかってる可能性は否定しませんが、こういうバカだけど何が正しいかはちゃんと知っているキャラってのは大好きです。他にも好きな主人公は何人かいますが、こういうふうになりたいっていうキャラは拓也くらいじゃないかなぁ。寝覚めが良いのも羨ましい(おい


ようやく本題に入れる。言いたいことをひとことで言うと

ほなみんがエロいのが悪い

いやー実に怒られそうな痴漢の発言ですが、ほなみん(と拓也、および二人の関係)がこの発言を安心して言えるように完璧に構成されているからこそ完全に拓也にシンクロしてぎゃーぎゃー気持よく叫べるんだと思うんですよ。

俺の場合で言うと、まあ和姦なのは当然として、和姦であっても、ヒロインが性的なことにあまり興味を持っていなかったり、あるいは自分の性的魅力に自覚的でないとダメなんですよね。ロリ体型はOKというかむしろ大好物なんですが、「精神的にこども」はダメです。もちろん原理的なこというと二次元じゃんとかいって自分を騙すことが可能なんですが、それだと当然冷めてしまう。

ほなみんの場合、両方完璧に備えてくれてまして、それが見事にでているのがなぜかシーン回想のない風呂場のシーンです。拓也が風呂入っているところに水着姿のほなみんが入ってきて一緒に風呂に入るやつ。これなんで回想ないんだよ。ひどいバグですよまじで…

このシーンでのほなみんの誘いっぷりがヤバい。まず背中流しますとか言って入ってきて思わせぶりな発言を連発し、いっしょに湯船に浸かってからはわざと乳首をチラチラみせてるくせに何も知らないふりして「どうしました?」とか言いやがってこのやろうばかやろう。しかもこんときのCGがまたこっち(拓也)のほうに目が向いててこっち(拓也)がうろたえる様子を楽しみながらやってやがってくそったれぇぇ…。そんなんされたらそりゃ下半身、完・全・独・立・宣言!!!しますよ。しかも「拓也くんはえっちなのです」とか嬉しそうな顔して言いやがって犯すぞこら。で、とどめの一撃

「さっきから胸見てるくせに?」

拓也の理性がぷっつん。俺の理性も当然ぷっつん。もうダメだ…
そんでほなみんが手コキし始めてこのときもこっちが感じてるのを嬉しそうに眺めてさあ。そんでもっておかずとして「…ちら?」っと乳首を見せてくるわけですよ。自分がおかずにされることを喜んでるほなみんがエロすぎてもうほなみんの手のひらの上で転がされ続けていれば俺もうそれだけでいいや状態になります。

こんな感じでもうほなみんエロすぎてわけわかんない早くイカせてくださいお願いしますってなってるところに、わかばが入ってきて寸止めっていうね。これでもう完璧にほなみん見た瞬間にちんこ勃つように調教されちゃいました…ぜんぶほなみんがエロいのが悪いんや…

そのあともずーっとこんな感じですしもういちいち興奮のメーター振り切れまくりですっげー疲れました。60歳くらいになってから冬にプレイするとぽっくり逝く予感がします。ひさしぶりのプレイだったんで忘れてましたがほなみんの破壊力はハンパないっすねやっぱり。うかつに手を出すと危険ですのでみなさんお気をつけ下さいませ。

あ、Hシーンは素晴らしいんですが最後のHシーンは長すぎかと。あれでシナリオ全て吹っ飛んだ

(追記)
声優さんも素晴らしいですよね。「~なのです」の「す」の発音がたまりません。ひょっとしてみう先輩を好きになったのもほなみんによる刷り込みがあったからではないかという疑惑が

2012/01/08

最高のエンディング ― 『WHITE ALBUM 2』雪菜√感想 ―

『WHITE ALBUM 2』雪菜√のほうの感想です。『coda』で春希がかずさのコンサートに行かず、雪菜のいる大阪にいった場面から。それ以前はこちらに書いてあります。


雪菜√では、春希は大阪に言って雪菜に会った際に正直にかずさとのことを打ち明けます。それ以前の選択肢でも雪菜に正直にかずさとのことを話している必要があるので、プレイヤーが体験していない『closing chapter』から『coda』までの春希と雪菜の二年間が十分に重みを持っているかどうかで結末が決まるということです。

春希の話を聞いた雪菜は春希にビンタをかまして(可愛い顔してけっこうビンタする雪菜さん)

…かずさのところへ、行って

と言います。なぜなら、春希がかずさから逃げたままでは駄目だと知ってしまったからです。かずさと向き合って結論を出さないと、春希と雪奈が結ばれることは決してないからです。雪菜はこう言います。

もう会わないからとかそういう問題じゃない。逃げても、距離を置いても、時間は何も解決してくれない

雪菜はすごく頭が良い娘ですからそれがわかっている。それでも春希に対してかずさと本気で向き合ってくれと言うのはとっても怖いはずです。このときの雪菜の心はぐっちゃぐちゃです。

かずさのコンサートに行かず自分にすがってきてくれたのは嬉しい。でもかずさを裏切るのは許せない。
かずさに心が動いたのは許せない。でも正直に話してくれたのは嬉しい。
春希がかずさと向き合って結論を出さなければ未来はない。でもかずさのほうに行ってしまう可能性が怖い。

それでも雪菜は正しい道を選びます。『closing chapter』で自らの弱さを乗り越えることで強くなったから。そしてその後二人の二年間があったから。春希が正直に話してくれたから。どれが欠けていても、ここで「かずさのところへ、行って」とは言えないと思います。

春希は東京に戻りますが、かずさのコンサートには間に合いません。春希がコンサートに現れなかったせいでかずさは荒れて行方不明になります。雪菜√ではかずさを見つけても春希は流されないでいられます。大阪で雪菜の言葉を聞いているから(ここはもう選択肢固定)。

前のエントリでも書きましたが大阪での雪菜の言葉がなければ、春希は流されてしまうと思います。そういうやつだからこんな状況になってるわけで。

じっさいこっから先の流れを見ると、雪菜がいないとダメなんですよね。かずさの世界観を変えてかずさを救ったのは雪菜じゃないですか。春希なんかしたっけ…?

雪菜さん無双状態ですが、雪菜は決して超人でもなんでもないんですよね。必死になって戦ったんだ、頑張ったんだ、というのが最後に明かされる。雪菜の弱くて醜い内面が、送れなかったいくつものメールとして、一気に開示される。

雪菜は強くて弱く、美しくて醜い。そんなのはきっと誰にもある両面なんだけど、その両面を自己肯定することはとても難しい。雪菜も、自分では肯定できません。さらに言えば、春希以外の誰が雪菜を全肯定しても、それを雪菜は信じることなんてできない。なぜなら、雪菜の弱さも醜さも、春希のせいだから。そして雪菜の強さも美しさも春希のおかげだから。

雪菜はずっと頑張ってきた。自分で乗り越えて、強くならざるを得なかった。それは結局「つまんない男」を好きになったからで、そのたった一人に愛されたかったからです。だからこそ、春希がそんなぐっちゃぐちゃの雪菜の全てを肯定すると告げたあとの、雪菜の最初で最後の「たった五分だけの甘え」はちょっと信じられないくらいの破壊力がある。

わたしが一番頑張ったんだよ! 
とっても辛い思いをしたんだよ! 
だからいいよね? 幸せになってもいいよね? 

そんなもん、

いいに決まってんだろ!!!

…すいません、興奮しました。そしてEDでは、春希と雪菜の結婚式のシーン。かずさがピアノを、春希がギターを弾いて、雪菜が歌う。春希の母親を含む家族と、友人達に祝福されながら。

そう、今度こそ本当の「最高のエンディング」

上手になんてできない ―WHITE ALBUM 2 感想(ネタバレ有)―

傑作

作品を評価する基準ってのは人それぞれいろいろあると思います。エロさとか甘酸っぱさとかかわいさとか感動できるとかはたまた性癖とか。
またエロゲみたいなゲームをプレイするやりかたにもいろいろあって、主人公に感情移入したり、ヒロインに感情移入したり、あるいは主人公とヒロインを客観的に眺めたり。
俺はふだん萌えゲとかやるときは客観的に眺めて、主人公とヒロインがいちゃいちゃするのを見てあーかわいいとか悶えてるひとです。

だけど、この『WHITE ALBUM 2』という作品に関しては、ファーストプレイでは徹底的に主人公の春希に感情移入しながらプレイしました、あるいはプレイ「させられた」。選択肢をひとつ選ぶのにも頭を悩ませて、春希ならこうするって考えて選びました。

そうして辿り着いたのが、かずさNORMALです。俺は、この√が一番好きです。この作品を傑作だと思う最大の理由も、この√が存在したからです。雪菜ENDも素晴らしいんですが、そちらは別記事で。


以下、ネタバレ満載かつ超長文ですのでご注意ください(ちなみに以前別のところで書いた文章の加筆修正版です)。


『introductory chapter』から。この章では後に残る傷をいっぱいつけてます。間違いつづける。

まず学園祭ライブ。春希が作詞し、かずさが作曲した『届かない恋』という曲を雪菜が歌う。バンド組んでオリジナル曲で学園祭ステージに立つなんて、表面的にはすげー青春!って感じですし、じっさい当時の三人も無邪気にそう思ってました。でもこれが後で重くのしかかる。

なんでかっていうと『届かない恋』は春希がかずさのことを想って書いた詩だからです。この事実を知ってからこのバンド演奏を見ると、雪菜はピエロですよ。自分の好きな人が、自分以外のことを想って書いた詩を、気持よく歌い上げたわけですから。

そしてステージ終了後、眠っている春希にかずさがキスをし、それを目撃してしまった雪菜が「ずっと三人でいるために、春希とかずさが二人になるのを止めるために」春希を誘い、春希のほうからキスをするシーン。

このシーンの毒は、雪菜は「誘った自分が悪い」と思えるし、春希も「キスした自分が悪い」と思える、というところです。かずさのキスを見てしまった雪菜は決して自分から春希にキスできないし、誘われなければ春希は決して雪菜にキスできないのにもかかわらず。

お前が悪い、と言ってくれる人がいなければ加害者にはなれない。加害者にならなければ、断罪されない。断罪されなければ救われない。

そして、二人(春希と雪菜)と一人(かずさ)になる。三人でいたいと願う雪菜の望みどおり。これも雪菜の願いを「春希が」かずさに押し付けなければ成立しません。三人でいることはかずさの願いではないですから。春希の間違いは、自分の定義する「誠実さ」が相手にとっての「誠実さ」とイコールだと考えたことです。そんなものは傲慢でしかないのに。

三人はしばらく友達としていっしょにいますが、かずさにはすぐ限界が訪れる。温泉で口をつぐんだシーンですね。そして街角でのかずさの告白

あたしの想いを勝手に否定するな!あたしがつまらない男を好きになって何が悪い!

この言葉は、自分の気持ちを優先させることができなかった春希にとっては相当痛い言葉です。
そして、三人でいることにも耐えられず、雪菜を裏切ることもできず、卒業したら海外に逃げようと決めた、かずさにとっても。

逃げると決めたのと同じ弱さの表れが、あの別れの電話ですよね。春希の家のそばからかける。気づいて欲しいっていう甘え。そして、春希と二人で雪菜を裏切り、結ばれるときの、「これでお別れだから」という言い訳。

そして、空港のシーン。雪菜に誘われて見送りに来てしまった春希は、雪菜の目の前でかずさへの想いを隠すことができず、かずさを抱きしめる。

三人はバラバラになって、三人が三人とも「自分のせいだ」という思いを抱えて、『introductory chapter』は終わります。みんながみんなどこかしら間違えて、結果全てがバラバラになって、罪だけが残った。誰かのせいにすることは簡単ですけど、俺は誰も責めたくないです。誰のせいにもなりうるってことは、誰のせいでもないってことだと思うんですよ。それこそ「仕方ない」。



そして三年後、『closing chapter』

春希と雪菜は同じ大学の同じ学部に進学しますが、三年前の決裂から進展することはなく、春希は雪菜から逃げるために別の学部に転部した、というところから開始します。かずさはウィーンにいてすでに賞とかとってピアニストとして頑張ってます。

雪菜も春希も二人とも関係を修復したい、前に進みたい、と思ってます。それなのに関係が修復しないのは、誰も罰を与えないからです。春希も雪菜も「自分のせいだ」と思っているから相手を責めない。贖罪の機会が与えられなければ過去を振りきれるわけがない。前に進めるわけがない。

贖罪に対して、クリスマスの夜に春希が言った「全て無かったことにして、リセットしよう」というのは、罪をなかったことにする、という方法です。これも成功すれば確かに前に進めますから、この言葉を聞いた雪菜は、春希を受け入れようとするわけです。

でもやっぱりリセットなんてできやしないんですよね。なかったことにはできない。かずさは大事なひとですから。このときは、春希がバイト先で書いたかずさについての記事によって、「春希にはリセットなんてできない」と雪菜が気づいて、雪菜が春希を拒絶するわけですが、雪菜自身もリセットはできなかったはずです。

リセットなんて無理だ。でも贖罪は与えられない。じゃあどうすればいい?
春希はいろいろ考えて、みんなに励まされて、雪菜に本心からもう一度告白します。

かずさのことは忘れない。でも、雪奈のことは大好きだ。

最低な台詞にしか聞こえませんが、そうじゃないです。この時、春希はかずさに二度と会いに行かない、と決めたからです。赦されようとは思わないし、なかったことにもしない。罪を抱えたまま二人で前に進むという決意表明です。

この言葉を聞いて、雪菜は春希を信じられるようになります。この言葉は雪菜の本心と同じものですし。さっさとくっつけよって感じかもしれませんが、そんなに簡単ではない。

雪菜は、傷つけられたせいで臆病になってしまった自分の心を信じることができないからです。再び春希と雪菜が結ばれるためには、雪菜が立ち直らなけれならない。

雪菜の傷ついて弱くなった心は、かつて大好きだった歌を歌うことができない、という形で表現されます。春希がかずさを想って書いたラブソングである『届かない恋』に至っては聞くことすら耐えられない状態です。学園祭の時とは違い、もうその意味を知ってしまっているから。

でも、雪菜が立ち直るためには『届かない恋』を歌えるようにならないといけない。だから春希は再びギターを練習し、雪菜のために演奏し、時間をかけて、「歌っている雪菜が一番好きだ」と言って、雪菜に歌わせようといろいろ頑張ります。春希はこの時は正解を選んでます。でもひっどい話ですよねこれ…。雪菜に対してのスパルタが過ぎやしないか。

そして、過去を乗り越えて歌えるようになった雪菜と春希は再びステージに立ち、『届かない恋』を演奏し、二人はついに結ばれます。家族や友人に祝福されながら。テキスト中にあるように「最高のエンディング」です。



でも、この作品はここで終わらなかった。最終章『coda』です。『closing chapter』の「最高のエンディング」から二年後、かずさと春希のストラスブールでの偶然の再会が全てを狂わせる。

かずさと春希が再会して、春希がかずさのほうに心が動くのはまあ最低かもしれませんが、これは『closing chapter』の春希の言葉を否定するものではない、という点には注意が必要です。

なぜなら、『closing chapter』での春希の決意は「かずさに二度と会いに行かない」というもので、そして「かずさを忘れない」というものだったからです。そこには「偶然会ってしまったら」という視点は存在しない。つまり、もともとセキュリティホールになってたわけです。

これはかずさが日本を去るときの決意と同じものです。春希のことは忘れないが、二度と日本には戻らない。

ただ、再会した時点での春希とかずさには若干違いがあります。かずさは再会した時点でもうダメで、想いが溢れてしまいますが、(春希を擁護して何の得があるのかわかりませんが)春希は雪菜との二年間がありますから、再開しただけならかずさに向かうことはなかったはずです。

でも再会したとき、かずさは足を怪我していた。これが春希にかずさに近づく言い訳を与えてしまう。

そして別れる際に、春希は迂闊にも足を怪我したかずさに「ピアノ、聞かせて欲しい」と言ってしまう。足が治らないと弾けないのに。これがかずさに日本に戻る言い訳を与えてしまう。

つまり、『introductory chapter』のラストとは逆で、お互いがお互いのせいにすることで距離を縮めてしまった。ここから春希とかずさの共犯関係が始まります。かずさが日本に来てからはもう止まらない。お互いに、「お前のせいだ」と言い訳して自分から近づき、「自分のせいだ」と言い訳して相手を近づける、というのを繰り返す。一線は越えなくとも、この関係そのものがおっそろしくエロい。

そして、インタビューで訪れた思い出の場所、第二音楽室での、「最後だから」という言い訳にのせたかずさの告白。「最後だから」という甘え。かつて、眠っている春希にキスしたこと、そのときの自分の醜い独占欲の、告白。そして二人は再びキスをする。これはかつての雪菜とのキスとは違い、かずさの告白で、かずさからのキスです。

だからもしこの後、かずさが決意していたとおり、春希がかずさのコンサートに行き、かずさが自身のピアノで別れを告げることができていれば、そこで終わっていたはずです。でも、春希はコンサートに行かなかった。自分の弱さも、自分では自分を止められないということもわかってしまっているから、雪菜に止めてもらうために大阪出張中の雪菜のところに行ってしまう。



こっからは春希√に沿って書いていきます。

大阪に来た春希を雪菜は受け入れてしまいます。自分と春希の絆を信じきれていないから、体で繋ぎとめようとする。でもそれじゃダメなんですよね。だって春希とかずさが会わない、という方法ではダメだったわけですから。かずさと向き合って結論を出さないと、春希と雪菜が結ばれることは決してない。

春希がコンサートに現れなかったせいでかずさは荒れて行方不明になります。かずさを見つけた際にかずさの想いを受け入れてしまうと、春希√になります。ここで流されず、かずさを受け入れなければかずさTRUEに行きますが、俺はここで春希がかずさを受け入れないってのはありえないと思います。

それが初めからできる男ならこんな状況にはなってないですし、雪菜に止めてもらうために大阪に行くわけがないです。できるとすれば大阪に行った時に雪菜に諭される必要があります。ちゃんと向きあえ、と。そしてそれが雪菜√です。

かずさを受け入れてしまった後は雪菜に隠れて付き合います。雪菜との関係を続けながら。かずさは「雪菜といるときの春希が本当で、あたしといるときの春希が嘘」だと言います。また、「日本公演が終わるまでだ」とも。この言葉はかずさの真実ですが、春希からすれば甘美な嘘です。春希はかずさに溺れて止まらなくなります。共犯関係から始まった二人の恋は、共犯関係によって進み、共犯関係に縛られる。

春希は雪菜に嘘をつくのがつらくなって壊れます。罪に耐えられない。そして誰も自分を断罪することのないかずさと二人だけの世界に逃げ込みます。かつて三人でいった温泉にかずさと二人で逃げて、SEXに溺れる。たった二人の嘘の世界のなかで、春希は「嘘の世界における真実」のプロポーズをします。ただしこれは本当の世界における真実ではない。春希は罪を負う決意すら持てていないのだから。

この間ずっとかずさは迷ってます。壊れる春希を見るのはつらい。でもこの二人だけの嘘の世界はかずさにとっては夢のような世界です。かずさにとっての世界とは、自分を愛してくれる人のことでしたから。

でも結局、旅行の最終日の朝、雪の止んだ雪原で、かずさは春希を振ることを決意します。冬の間だけの嘘(ホント)が終わったから。春希を愛することでかずさの世界は少し変わったから。自分を愛してくれる人から、自分が愛する人に。自分では春希を壊してしまう。春希を幸せにできるのは、雪菜しかいない、と気づいてしまったから。

最後に駅の改札で

壊れてくれてありがとう

とかずさは春希に告げ、春希の手を離し、春希を振ります。このシーンは凄まじくみっともないんですが、だからこそ圧倒的に美しい。

そしてエピローグ。かずさが願ったように、雪菜が壊れてしまった春希を支えて立ち直らせ、二人は共に生きていく、というところでこの物語は終わります。

大団円ではないけど、俺はこのラストが大好きです。三人が三人とも消せない傷を負い、三人が三人とも理想に辿りつけない。でも、罪が傷に変わったことで、ようやく前に踏み出せるようになったんですよね。少し悲しいけれど、だからこそ、『introductory chapter』から間違え続けた、上手くできなかった三人のラストとして、最もしっくり来ました。悲しみが残るENDが好きな人(←俺)にはたまらないんじゃないかと思います。

ゲームも長いし、感想も長くなりましたが、まぎれもない傑作です。丸戸さんとLeafのスタッフに感謝

2012/01/05

助手関連

このへんの話

牧瀬紅莉栖かわいいよねっていったら
牧瀬紅莉栖は「どこにでもいるあざとい萌えキャラ」なのか――特定のキャラクターを好きになるという事について

シロクマ先生のエントリで気になったのが、"データベースでなくキャラクターを愛好するべきだ"と結論しているのになぜかその前で
岡部倫太郎と出会い、ラボメン女子とキャッキャウフフし、タイムマシン実験にのめり込み、白衣が似合い、「ぬるぽ」と言えば即座に「ガッ」と応じ、秋葉原で「処女で悪いか!」と叫んだキャラクターは、世の中には他にいない。タイムマシンの使用を自らに禁じ、一度きりの運命について自分なりの哲学を持ち、別れのメールにホラティウスを引用するキャラクターも、たぶんいないだろう。
とか、
似たようなキャラクターは数多あれど実際にはみんな違っていて、細かな点まで含めてみれば換えが効くわけではない
とか言っているところ。

細かな点であろうと、それは結局細分化されたデータベースでしかないと思うんですよね。自分の好む要素の集合としてキャラクターを分解してしまうのは、要素のスカラー和としてキャラクターを考えてるってことだから。

『貧乳』というラベルが+に作用するか-に作用するかも、『別れのメールにホラティウスを引用する』という要素が+に作用するか-に作用するかも、まあ陳腐ですが文脈依存なわけで。この文脈ってのは前だけじゃなくて後も含みます。なんとなく桐乃が思い浮かんだので桐乃でいうと、「さんざんほったらかしにしておいたくせに、いまさら兄貴面すんな!」で全てが転回したわけです。以前の行動も、その後の行動の意味もぜんぶひっくり返りましたもん(てかあれだけで生きていける。もうデレなくていいです)。


しいて言えば音楽みたいなもんなんじゃないかと思うわけです。トータルとしてこの曲が好き、と同じで、先にくるのはこのキャラクターが好き、なのであって、キャラクターが好きな理由を音符に分解しても意味ないし、小節に区切っても意味ないんじゃないのかなあ。

だって嫌じゃないですか、例えば万一そんなことがあったとして、『プロポーズの言葉と、背が高いとこと、顔で惚れた』って言われたら。『なんかわかんないけど好き』って言われたいっすよ。

2012/01/02

CARNIVAL 感想

いまさらながら瀬戸口廉也のCARNIVALをプレイ。未だにパッケージ版はプレミア(Amazonで二万近く)ついてるみたいなので、DL版(Amazonで¥2500程度)を購入。プレイ時間は10時間くらいでした。


以下ネタバレ要約しつつ感想


メインとなるキャラクターは三人、学と彼の交代人格である武、そして理紗です。
このゲームは『CARNIVAL』、『MONTE-CRISTO』、『TRAUMEREI』の三章から構成されていて、それぞれ学、武、理紗の視点から描かれます。事実と心情がどんどん明らかになっていくので読ませる力が強い。

学はいわゆる二重人格者(の基本人格)です。学は母親から身体的な虐待を受けており、それを引き受ける交代人格として武を生み出します。母親の虐待が始まると学は武と交代し、武に虐待の記憶、母親への憎しみを引き受けさせる。学は何が起きているかはわかってますが、直接的な被害の記憶を持たないため、それでも母親を愛している、という。逆に武は学が表にいるときの記憶も持っています。このころは学は武の存在を認識しているので、学が前に出ているときは両者のコミュニケーションが可能です。
虐待する母、虐待される子供、解離性同一障害、といった構造は典型的ですが描写が強い。第一章『CARNIVAL』開始時のふざけきったテキストとのギャップも効いてます。

しばらくはそうやって耐えてたわけですが、当然ながら対処療法にも限界が訪れ、母親と花火を見に行った日に、武が母親を突き落として殺してしまう。武は破壊衝動の強い人格を引き受けてますが、学と武はもともと同じ人格ですから、学が大切に思っている相手を武は決して殺せない。つまり殺したのは両者の罪です。学にはこの罪を受け入れる準備ができていない、と考えた「学の影」(メタな人格)は、武を閉じ込めることにします。これにより学は武という別人格を全く認識できなくなります(かつての記憶にある武は友人かなにかだと誤認する)。そうして母親殺しの罪を背負うことを先延ばしにしたわけです。罪を背負うことに耐えられるようになるまで。
武を消せればいいんですが、もともと一個の人格から分裂したわけですからそれは不可能です。たとえ出来たとしても欠けてしまうだけです。

一方、理紗は実の父から性的虐待を受けて育ちます。彼女は父親を蔑むようになりますが、仮面をつけて「温かい家庭」に適応します。彼女はまだ武を認識していたころの学と出会い、「なんとなく」仲良くなれる気がする、といって友達になります。彼女は武ともコミュニケーションしており、母親からの虐待についても聞いた、学の秘密を知る唯一の他者です。理紗は自分の受けている虐待を学(武)に話すことはありませんでしたが、お互いに支えになってたのは間違いないでしょう。

武が母親を殺した日、理紗は全てを見ていました。でもそれを警察に話すことはなかった。たった一人の仲間がいなくなるかもしれないから。彼がいなくなってたら理紗は心を失くしてたんじゃないでしょうか。仮面だけが残って。

そして現在。武が再び表に出られるようになります。あいかわらず学は武を認識できませんが。理紗のほうは変わらず父親からの虐待を受け続けています。仮面もかぶり続けてます。久しぶりに表に出た武は衝動のまま理紗を犯し、彼女が処女でないことに気づきます。学の味方だと思っていた彼女が他の男に抱かれていたことに武は怒り、彼女を裏切り者だと断定し、攻撃する。

学の味方など世界に誰もいない。そう思った武は、学から「指定席」を奪い、学をいじめていた上級生を殺します。このくそったれな世界から逸脱するために。

「指定席」に戻り記憶のない殺人の容疑者になった学は、一旦は逮捕されますが、警察から逃げることに成功します。そして理紗と会い、理紗の家に匿ってもらうことに。このころには武と学の人格はかなり頻繁に交代するようになっており、学にも武の声が聞こえはじめます。理紗は学が完全に武に気づく前に、武に受けた誤解を解こうと思い、父親からの性的虐待について武に告白します。この後、武は理紗に「愛している」と伝えます。ひとりよがりで下手な方法で。ここで武がすげー好きになりましたね…

一方、武と理紗が話すのを聞いた学は、未だ武を自分の別人格だとは認識していないため、かつての親友と理紗が話しているのだと勘違いします。学は疑心暗鬼になり理紗を襲い、パニックに陥る。学を止めるために武は強引に学から「指定席」を奪う。学の意識があり、譲る気もないときにそんなことをすれば、学と混ざり合って自分が消えてしまうと予感しながら。武がイケメンすぎて困る。

そして武は消え、「学」が残った。

「学」は理紗と二人で理紗の家から逃げ、かつて武と学が母を殺した公園にたどり着きます。そこで二人はお互いの愛を確認する。そして、希望と決意に満ちたラストシーン。俺の受け取ったメッセージを書いておきます。


世界は愛してくれない。
罪は赦されないし、罰も与えられない。
未来はわからない。
愛する人がいても補完されるわけじゃない。

でも、

世界を愛している。
未来を信じている。
罪を背負って、ふたりで生きていく。


これは確かに偽物の希望です。でもそれさえあれば生きていける。言ってみれば最小のハッピーエンド。

素晴らしい作品を生み出してくれた瀬戸口さんに感謝。