2015/09/08

昨日ぶっ倒れてて見ずにいたうまる9話を見たのとこれ↓に触発されたので少し。

http://yyytttrrreee.hatenablog.com/entry/2015/09/07/214346

ツイッターでは「少なくともうまる4話はだらっだらに泣きながら見てました」と言ったんだけど、実際にはたぶん2話あたりからずっとだらだら泣きながら見ている。まああの頃は特に疲れていたのでむべなるかな。ただそれもリンク先にあるとおりあの1DKに「楽園」を感じているからなんでしょう。今回書くのは俺にとっての「楽園」の条件のようなものです。

この1年で見た作品で「楽園」を見たのは幾つかある。一つはうまる。そしてたまゆらですね。あとはピュア×コネクトのもえみん√。これらに共通しているのは、キャラクターがある幸福な世界に実存しているということ。うまるであれば(まずは)1DKの中であり、たまゆらであればたまゆらの写る竹原の大気です。ピュア×コネクトであれば同じ街に住む誰かの家の扉の向こうに幸福が存在していると明示される。

「楽園」と呼ぶからにはそれは隠されていなければならない、というような思いがある。世界がそれを隠したのかは知らないが、俺にとってそれを「楽園」と認識するにはそれは俺の開けない(つまり他者が日常的に当たり前に開閉する)ドアの向こうになければならない。これはエロシーンで言えば(なんでエロシーンで例える)寸止め大好き♡みたいなことに繋がっている気がする。ところでクロポのまほっちゃんのフェラシーンえろいよね。教室のやつ。

ピュア×コネクトの秀逸なところは、もえみんと主人公は同じ街に生まれ育ってなお、×印の示す交差をこれまで全くしてこなかったという点なのだと思う。主人公は小金持ちの家に生まれ育って高校では当たり前のように受験勉強をして大学に行って大学生活ではいろんなバイトをして。もえみんは少なくとも主人公よりは裕福でない家に育ち高校を卒業したらピヴォワーヌでずっとバイトして正社員になれるかなってところである。同じ街にある主人公が通う大学の敷地には、主人公と付き合うようになって初めて入る。

例えば俺が通勤する際に、毎日同じ道を通るように。例えばあなたはあなたが通勤/通学する際に毎日同じ(俺とは別の)道を通るのだろう。

例えば俺が休日にお気に入りのラーメン屋に行くように。例えばあなたは図書館に行くのかもしれない。

その可能性に強度を持った幸福があるというのを見たときに「楽園」と表現するのだと思う。例えばうまるが笑っている。例えばぽってが友達Aの笑顔を写す。例えばもえみんが弟の誕生会で嬉しそうに泣いている。ここに幸福がある。あそこにも幸福がある。あっ、あっちにも!

隠された世界の幸福は俺が通勤しているだけでは見えない。昼間の公園では見えるのかもしれないが、俺が帰るころには夕飯はとっくに終わっている。まあ休日に公園の側は通りたくないんですが。

満ち足りたものを見て、じゃあいいかってなりたいのです。諦めとも言うのだろうけど。

とはいえその割にうまるは欲しいんだよね。うまるが腹だしてよだれたらして寝てる家に帰りたいです。欲望は未だ消えてないのが悪いのか良いのか。