2012/07/08

逃げればいいなんて言うなよ

書くかどーすっか迷ったんですが、我慢できなくなったので吐き出しときます。いじめの話。

いじめが報道されるといろんなひとがいろんなことを言う。「殴り返せ」とかいう頭湧いてんのかってのは問題外として、なんかもやもやするのは「逃げればいい」っていうやつ。いや、確かにそれは賢い解決策で、現在存在する唯一解だと言ってもいい。でもさあ、何で何も悪くない被害者が逃げなければならないんだ?絶対におかしいだろ。

ただでさえ何か知らんけど集団から攻撃されて、誰も助けてはくれない状況でズタボロになった尊厳をさあ、逃げることでポッキリ折ってどうすんの。「逃げるが勝ち」なんてのは嘘だよ。逃げたという事実は確実に自分のなかに残ってしまうんだから。

いじめられるときに、「逃げるのが賢い」世界なんてのは、クソだ。そんで、そんな醜い世界に絶望したから、自殺を選ぶということもあるだろう。全くもって「正しくない」世界に気づいてしまって、その世界が今後ちったあマシになるという希望すら抱かせてくれなかったら、どう思う?

だからまず最初に「逃げればいい」なんて言うなよ。言うなら、「逃げてもいい」だ。そして、逃げることが最もクレバーな選択肢である現状は間違っていると、まず声を大にして言わなきゃならない。

「にげる」であれ、「たたかう」であれ、「ぼうぎょ」であれ、被害者が選択しなければ解決しないってのは絶対に間違っているのだから。

「間違っている」とちゃんと伝えること。そして政治家なり教育者なり周りの大人なりが、いじめを無くすために「行動する」こと。失敗してもいいから、とにかく動く。分析じゃだめだ。それは目に見えない。失敗してもいい。下手でも、間違いを正そうとしてくれていることがわかるだけで、全然違うからさ。これまで何十年も問題が認識されてるにもかかわらず、実際のところ全く学校ってものの形態が変わってないってのはマズすぎる。単純に外挿したら永遠に続く間違った世界。絶望しろと言ってるようなもんだ。

今日はクソでも、明日は少しマシかもしれないってのが、希望ってやつだろ?

解決策については…、やっぱりクラスってのを無くすのがいいんじゃないかと思う。

いじめってのは集団で個に危害を加えるもので、この現象において集団の果たす役割は非常に大きい。いじめのリーダーは取り巻きに命令することで自ら手を下さなくて良くなる。取り巻きは「命令された」という言い訳が効く。傍観者は「誰も止めないから」「俺は関係ないから」と思っていられる。また、「次は俺の番かもしれない」という恐怖も言い訳になる。

言い訳は自分の責任を希釈するように働き、集団の全ての人間がそうすることで責任の所在は不明瞭になる。刑を下すひとがいて、サインするひとがいて、死刑台のスイッチが3つあるように。上官の命令で、遠隔射撃のトリガをひくように。一対一でナイフを突き立てるのには言い訳が効かないが、集団においてはずっと簡単になってしまう。

集団を解体しよう。クラスのようにあらかじめ与えられた集団がなければ、まず集団を作らなければ「いじめ」は発生しないのだから。勝手に入らされて抜けることのできない集団にいれば、そこに逆らうのは難しい。そして、「いやいや参加している」というポーズがとれる。しかし、別に入る必要のない集団に入ってまでいじめを行えば、「自らいじめることを選択した」ことになってしまい、言い訳が効かない。

俺はこれがかなり効果的だと思うけど、まあやってみなくちゃわかんない話ではある。でも、失敗したっていいから、今の間違った状態を正すために「何か頑張っていること」を伝えるためにも、とりあえず行動してみたらどうだろうか。

俺は政治家でも教育者でも親でも子供でもない傍観者でしかなくて、できることなんて殆ど無いのだけれど、せめて「今の状態は間違っている」と言い続けようと思う。