2012/08/19

『終わる世界とバースデイ』 感想

『終わる世界とバースデイ』をプレイしたのでその感想。

今年発売されてプレイしたゲームの中では一番良かったです。(ネタバレしたところで魅力がなくなるとは全く思いませんが)とりあえず前半はネタバレなしで。まず公式のストーリー紹介。

2012. 9. 29――その日、世界は終わった。 
ツクツクボーシの声が虚しく響き渡り、誰もいない街に夏の終わりを告げている。 
もう僕にできるのは、最後の瞬間まで”彼女”と添い遂げることだけ… 
でもせめて、残った者の義務として―― 
この世界がいかにして終わりを迎えたのか、その経緯を伝えようと思う。 
僕と”彼女”が、確かにここで生きていたという証を。 
そして僕らの世界が終わりを告げるまでの、永遠にも似たひと月足らずの物語を。

しかし、プレイした後で見ると、意味しか込められてないような文章ですね…。このゲーム紹介にあるように、2012. 9. 29に終わりを迎えると予言された世界が物語の舞台です。正確さは欠きますが、「終わる世界」の謎が各ヒロインの個別ルートで徐々に明かされていき、最後にTRUE ENDがある構成だと思ってもらえればいいかと。

ただし、謎とか世界設定が面白いゲームではないです。個別でさらに謎が深まったり、新たな真実が明かされたりしますが、これは続きが気になって読み進めさせてくれる程度の面白さでしかないです。むしろそっちに期待しすぎると、明かされる真実とそれに対応する方法の既視感にしらける可能性があるかも。

このゲームの重点はそこではない。語られているのは、他者を想うやりかたについてです。自分の想いとその対象である彼女の想いが一致しないときに、「俺は彼女が好きだ」を理由にして彼女に何をしていいのか。何ができるのか。

ちなみに、この辺の話はTRUE ENDで描かれるんですが、他者との距離感に気をつかってあるので、「終わる世界」の不穏な空気にも関わらずゲーム内の雰囲気は居心地がいいです。

キャラについては、入莉と織塚の二強ですね。入莉については体験版やった段階でハマりましたが、個別でも凄かったです。自分がずっと好きだった幼なじみが自分のことを「兄さん」だと誤認してしまっていて、「入莉のために」真実を明かすことはできない、という状況が見事に生かされてます。「兄さん」と認識されたまま入莉と結ばれるということによって生じる葛藤の描写は素晴らしいです。寝取り寝取られにつながるエロさも生んでましたね。Hシーンの犯罪臭がすごかった…。

逆にラーメン狂いの織塚については、体験版の段階ではまっっったく興味なかったんですが、完全にやられましたね…。ちゃんとした個別ルートはないんですが、キャラ設定がひきょう…。ちなみにこの娘だけ片岡ともさんが書いたそうで。

ラストについては細かいことは書きませんが、Happy Endではないです。怒りとか悔しさとかではなく、哀しさと罪悪感のようなものが残ります。


ネタバレなしだとこれくらいですかね。以下ネタバレ。










何を語るにもまずは必要な世界設定について。

主人公たちがいる終わりが予言された2012年の世界(=「終わる世界」)は主人公と入莉の実の兄である陶也によって作られた擬似現実でした。現実世界は現在2022年であり、そこにはすでに入莉は存在していません。入莉は2010. 9. 29の誕生日に事故死しています。入莉が誕生日プレゼントとして主人公にバイクの後ろに乗せてほしいと頼み、そのときにバイク事故に遭った、と。

そんでその後、主人公と陶也は入莉を蘇らせるため擬似現実の研究を進めて、入莉の幼なじみと兄である二人の記憶と入莉の生前のデータから「人工意識体」である「入莉」を生み出すことに成功。肉体を持たない彼女のために作られた世界が、擬似現実である「終わる世界」です。

「入莉」を生み出すにはかつて入莉が住んでいた世界と矛盾しない世界を用意してやる必要があります。だから擬似現実にもかかわらず「入莉」は入莉と同じく弱視設定になってる。その一方で、2012年という入莉がすでに死んでいるはずの世界に「入莉」が存在するためには、バイク事故があったという事実を残したまま「バイク事故で死んだのは陶也である」という偽りの世界設定を導入する必要がある。しかしこれはけっこう難しい。なぜなら主人公と陶也の記憶から生み出されたばかりで自らの記憶を持たない「入莉」はかなり不安定で、兄である陶也が死んだというような悲しい事実を知った段階で「狂って」しまうから。それを避けるための苦肉の策が、「兄である陶也の事故死のショックのせいで、幼なじみである主人公を兄だと誤認している」という設定です。

そんな不安定な「入莉」を安定なものに成長させるために必要なのは自らの体験に基づく記憶です。そこで主人公と陶也は「入莉」を育成するため、この擬似現実を「過去を体験できるゲーム」と偽って売り出し、擬似現実を生きるプレイヤーキャラとして100人の人間を生贄として用意します。彼らは2012. 9. 29に「終わる世界」を「入莉」の育成が終了するまでループし続けることになります。ループしているという事実を知ることなく、勝手に無意味にされる生を繰り返す(ちなみに主人公も当初はループしている事実を認識してません)。

ただまあ、ひどい!とはなんないですよね。入莉のために100人を犠牲にする?むしろそうでなくっちゃ!ってなもんで。要するに、誰かを選ぶという行為は、その他100人の重さと選んだ誰か1人の重さを違うものとして扱うと決めることだとみなしているわけですな。

でも、「入莉」がそれを望まなかったら?というのがこのゲームの問いです。

ループを繰り返して成長し、安定した自我を手にした「入莉」は、自分のために存在する全ての人を現実に還したいと願います。弱視というハンデのせいで、陶也兄さんやまわりの人たちに「迷惑」をかけて生きるのがずっと嫌だった彼女にとって、死んでからもまた「迷惑」をかけるのは耐えられないから、というのが一つ目の理由です。

さて、これだけの理由だったら当然、「迷惑」なんかじゃねえ!と主人公と陶也が言って終わるのが正解なわけです。実際、彼女がプレイヤーを還そうと思っているのを知った主人公は、100人のプレイヤーを還すが、自分と陶也は「終わる世界」に残って3人で「入莉」と生きようと考える。全くもって正しい。好きな人と、永遠の世界で生きるとかいいなあ……。

ところが、「入莉」はそれを許さない。彼女のために主人公が何か(現実)を捨てることはだめだ、と言います。たとえ主人公にとって「入莉」がいない現実など一切価値がなかったとしても、「入莉」のために何かを無価値化するような行為は彼女からすれば「犠牲」でしかなく、そう思ってしまった段階で主人公と「入莉」は対等な関係ではいられなくなる。それで一緒になっても「入莉」にとっては無意味なんです。なぜなら、彼女が好きになったのは、彼女に「ふつう」に接してくれた、彼女が唯一対等な関係でいられた、幼なじみの男の子なのだから。

「入莉」のことが好きだから、「入莉」を自分より上位に置いた。だから、「入莉」にフラれた。

要するにそういうことで、ほんとどうしようもない。もう「入莉」の思うままに任せるしかない。それが自分の望みとは違っていても、彼女に許可されない限りどんなものであれひとりよがりの欲望でしかないのだから、それを行為に移すことはできない。もちろん、衝動によって体は震える。いくら「入莉」の望みでも彼にとってはそれでいいわけがないのだから。

ただ救いがあるのは、「入莉」によって「終わる世界」が壊され、消える擬似現実の中、最後に再びわずかな時間であれ、主人公と「入莉」が対等な関係になれたということでしょう。彼ら以外の全ての人間が消え、「終わる世界」が消え、ただ二人だけが残った世界で、対等な二人があらためてお互いに恋をする。初めて出会った子供のころと同じように。そして二人は最初で最後のキスを交わす。

綺麗なシーンです。俺はもうここで終わっていたほうが良かったと思いますが、最後に主人公が現実に戻り、だいぶ時間が経った後のエピソードとして、主人公を還した後のわずかな時間に「入莉」が主人公あてに残したメッセージが主人公の誕生日に届きます。メッセージは、

「ハッピーバースデイ、兄さん」
「あなたの誕生日と、あなたのこれからの未来が、幸せなものでありますように――」

……きっついなあ。