2015/07/22

やることがないので日記でも書く。

とはいえ朝から遡る記憶力がないので直近からいくと、コインランドリーから俺の湿ったぱんつ等をゴミ袋につめてサンタクロースよろしく肩に担いで持ってきて干した。ハンガーが足りないので俺の湿った服の肩には俺のぱんつが乗っている。セルフ肩車である。絵が醜い。

そういえば最近肩車シーンみてねえなぁと思いだしたわけですが、そもそもエロゲをやっていないのであった。ピュアコネクトはあとアラサー巨乳支配人√が残っているわけですが、どうにもやる気が出ない。不思議ですね。不思議じゃねえな。実は部屋が汚かったり実はバイブを3種類もっててその日の気分に合わせてどれを使うか選んでたり(主人公はオナホを3種類持っています)してもすごくどうでもいい……。

すでに書くことなくなったというか俺は今日何したんだっけ。さっき相撲見てて白鵬が呆然としてたのは覚えている。ただ相撲も照ノ富士大関になって興味でて見るようになったのはいいんだけど、見てるうちにどっちかっつーと鶴竜のほうがいいなーと思い始めたらここ2日疲れてる感じだしつまらないので惰性で見てる状態。白鵬はおっかねえんだけどやっぱり疲れたおっさんだしたぶんあのひと支配人とおんなじくらいの年齢だよね。そりゃ興味わかねえわ。

支配人の話また出たのでピュアコネクトについてちょっと書くと、もえみん√が非常に良かった。「他者」というものに対する感覚が見事なんだよねえ。同じ街で生まれ育ったもえみんと主人公は、全く違うものを見て生まれ育った。家庭環境なり学力なり興味関心なりといったものが違えば、同じ街でもどこに行くかは変わってくる。牛丼屋に行くのか図書館に行くのか八百屋に行くのかコンビニに行くのか廃れたビリヤード場に行くのかバイトに行くのか大学に行くのか。行くというのはドアを開けるということだ。生活において背景としてしか認識されない、追憶の中でしか認識されないドアがある。そのドアの向こうは背景ですらない映らない景色だ。

隣りあった家であってもドアの向こうはわからない。ドアの向こうがわかるものは幼なじみと呼ばれる。そっちが空√だ。そこではドアの向こうがわかってもなお、背景ですらない映らない景色があると語られる。

もえみん√はもっと単純な「場所」に関する話。同じ街で生まれ育った、景色を共有しないモブ同士がバイト先で出会って、恋をする話。そして、彼/彼女らは彼女/彼らの景色を見る。そして、彼/彼女らは彼/彼女らの景色を共にする。

そして、おそらくありふれているであろう幸福の中でもえみんは幸福そうに笑うのである。

そして、俺はおそらくありふれているであろうだるさのなかでだるいのであった。

もえみんと付き合いてえなぁ。

なんだこの日記。