2012/02/18

俺にとって、物語って何なんだろう

時間のあるかぎり物語を読んでいる。電車、めし、風呂、寝る前。時間を見つけては物語を読んでいる。読み返すこともなく、読み捨てていく。そこから何かを学ぶこともなく、あらすじさえも記憶せずに。

どんな物語を好むのか?何を求めているのか?有限の金と時間を全てそれに注ぎ込んで、俺は何を得ているのか。

本でもエロゲでも漫画でもアニメでも映画でも変わらない。求めているのは感情の強度だ。

俺は現実世界に対してほとんど感情を表さない。それは「そういうもの」としてあるからだ。自分でコントロール不可能なもの、理解不可能なものは全て「そういうもの」として受け入れる。他者を理解できないし、しようともしない。世界を理解できないし、しようともしない。

それはきっと単純な話。「自分の嫌がることを他人にするな」というチープな箴言。俺は、俺を理解されたくない。いや、正しくは定義されたくないのだ。

おそらく多くの人間にとって初めて対峙する世界、そして他者とは、家族というものだろう。俺は普通の家庭に生まれ、何の問題もなく育った。虐待があったわけでもなく、何かを強制されたこともない。ただ、関係がなかった。会話がなかった。俺が一般的な価値観において「優秀な」行為をしたときに褒めることはなく、俺が社会的な価値観において「クズの」行為をしたときに叱ることもなかった。

俺は褒められたかったのだろうか。叱られたかったのだろうか。俺は、何が欲しかったんだ?思い出せない。怖かったのは覚えている。関係することが。俺を気にされることが。家庭内で一人称代名詞を使わず、「俺」という自己を表明しない。親とすら目を合わせず、拒絶の意思のみを発散していた。

承認されたくないんだよ。期待されたくもない。自意識過剰な人間が、期待されたら、内面が侵される。俺の範囲に、他者が入りこんで、肥大していく。それが怖い。だから最も長時間自分と共にいる人間を、最もひどく拒絶した。

学校ではずっとましだった。目を合わせるのはやっぱり無理だったが、それでもまあうまくやったと思う。関係性が簡単に切れる相手は楽だ。俺に入ってきたら切ればいい。

恋はしただろうか。初恋はいつ?理解できないものを欲望するという感情はずっとあった。だがそれは過去から今に至るまでずっと性欲と同値である。恋というものが、多くの物語に記述されているように、性欲の前提として存在するものであれば、俺はきっとそれを体験していないのだろう。愛情という名の相互理解を恐れ、理由としての恋を知らずにここまで生きてきた。

他者を介した欲望というものが分からない。俺にとってそれは、壁であってほしいものに対して、壁であることをやめろ、という叫びだ。そうか、俺はそれが壁でないことを「知っている」のか。そうだ、俺はそれが壁でないことを知りたくないから触れたくないのだ。

俺は壁を求める。反応のない欲望をただ打ち込むことを欲望している。それが物語であり、その登場人物なのだ。

俺は物語世界を現実に侵食されることを恐れる。メタな視点を持ち込まないでくれ。作者の目線を登場させないでくれ。それはただ、その形であってくれ。俺に何かを要求しないでくれ。

俺は、補償しているのだろう。現実世界でぶつけられない感情を。抱くことすら禁じている欲望を。俺を固定することのないソリッドな対象で。登場人物の視点を借りて。都合のよい立場を選んで。

俺は感情を貪って生きている。