2019/03/31

今日はてブに上がってた送辞の「内なる多様性」とかそのブコメの「優しくなりたくて東大に入りました」とか見てたらNHKにイチロー出てて引退会見の孤独の話を思い出したりしてたら思うことあったのでちょっと書きます。

イチローの引退会見は地味に生で見てたんですが、最後の質問「孤独感」ですね、その回答で「外国人になったことで人の心をおもんぱかったり、痛みが分かったり、今までなかった自分が現れた」と言ってたのが一番印象に残っていて、この「外国人」はおそらく「alien」と訳される類のもので、要は異邦人です。この体験自体は、別にイチローである必要もなく異邦人になったときにありふれたものだと思います。

異邦人、異世界転生でもいいですが、まずクリアすべきなのは言語の問題ですよね。あいつは何考えてんのかわからない。言葉が通じないやつだってのはけっこう痛くて、極端に言えば動物と同じ扱いをする/されるしかなくなる。

一方で、イチローのスペックって、男で野球が上手くて日本人一般からすれば身体がでかく、高校時代のエピソードなんかみても陽キャでってもんで、おそらく彼の位置からは見えようがないものってのはけっこうあったと思うんですよ。俺が男でガタイがよくて~で見えないものがあるのと同じようにです。俺の目からは世の中にやまほど痴漢がいるようには決して見えない。

けっこう見えないものってあって、「内なる多様性」と言った総長なんかは昔流行った上級国民のルートで言えばガチのやつで育ってきた方だったと記憶してますが、似たようなルートで育った子が一緒に飯くったときに会計で簡単なおつりの引き算ができない高校生バイトに本気で驚いてたのを思い出したり。それが悪いというわけではなく、ただそういう見えなさもあるんだと。お嬢様にラーメンでもいいです(そうか?

「内なる多様性」という言葉はおそらく想像力を信じている。でもたぶんそれは間違っていて、イチローの回答にあった「自分の中からは生まれないので」のほうがしっくり来ます。答辞の「優しくなりたくて東大に入りました」も一文を抜き出してしまうと、東大で学べるものを信じているように思える。

ここからどう繋がるのか気になりますが、学習から繋げるならば、学習することによって限界を知るということのほうが俺には重要に思えています。無限の可能性から有限の皮膚という境界にsettleする。

「ま、こんなものかなぁという感覚」と言い換えてもいいです。