2025/03/27

メダリスト

メダリスト、アニメより漫画のほうが好きなのはなんでか考えてた。

やっぱりアニメは時間的制約があるから、決して全てを詰め込むことはできなくて、全てを強調することもできない。

メダリストの5巻と6巻の素晴らしさは、6巻52ページからの4ページ(ノービスA女子の「完走」)において、結束いのりの頑張りも綺麗なところも全て描ききろうとしてる場面に収束する。

だからこそ、5巻と6巻に登場した多すぎるといっていい少女達の平行性が、漫画であってすら描ききれないそれぞれの価値を全て描こうとしたものだと確信できる。というか、自分が美しいと思ったものを全部描ききらなければならないという強迫性すら感じる。

この物語の主役は結束いのりだから、他の子の全てを描くことはもちろんできないけれど、美しいと思ったものを可能な限り公正に評価しなければ、結束いのりの美しさを美しいと自信を持って描くことができないから。

まあ俺には作者の感情は決してわからないけれど、俺がこの漫画を尋常じゃなく好きなのは、上に書いたような作者の熱情とその完遂を感じたからだということだけは間違いないです。

2024/11/01

謝ってほしいわけじゃないんだよね

今日は華金の夜、疲れ果てたし家でメシ作る気にもなれないし肉でも食って元気だそうと思って牛丼屋に行った。


混んでんなーと思いつつ席につく。カウンターがほぼ埋まってしまっていたのでまだ食べてない若い兄ちゃんの隣に座った。タッチパネルでおろしポン酢牛丼大盛りのサラダセットを注文する。周りを見て気付いたんだが、明らかに食ってる客より待ってる客のほうが多い。これはかなり待つやつだと思い、スマホでWEB小説を読み始める。カクヨムでデーモンルーラーだ。目が滑る。疲れすぎていて何も頭に入ってこない。

隣の兄ちゃんがずっと厨房のほうを見ている。相当待ってるのだろうか。あ、そういやお茶来てないな。まあいいけど忙しそうだし。

横の横の親子に注文した品が届いた。高めの声のおばちゃん店員が「遅くなってすみません」と謝っている。タッチパネルでの注文が2回に分かれていたらしく、商品の到着がずれてしまうことも謝っている。

先のおばちゃん店員が俺の後ろのテーブル席にカレーを届ける。トッピングを忘れたらしく謝っている。「カレーが冷めるといけないので先に持ってきました ほうれん草は後になりますすみません」

順番合ってるのか合ってないのか分からない順番で配膳されていく。俺の右手のほうのテーブル席の3人のうち最後の一人だけ何も届いていないのが気になる。俺はスマホを両手で持ってはいるが目が滑って文字が読めないので持ってるだけだ。あー腹減ったと思っているとおばちゃん店員が「お待たせしてすみませんおろしポン酢牛丼です」と言いながら俺の方にやってきた。

いや、逆に早くね? つーか隣の兄ちゃんの注文まだ届いてないんだがと思いながら盆を見ると明らかにまぐろ丼である。どうやら隣の兄ちゃんのやつだったらしく、おばちゃんは俺の顔を見ながら「すみません」と言い、隣の兄ちゃんに「遅くなってすみませんユッケ丼です」といって盆を渡した。俺はおばちゃんを無視した。

隣の兄ちゃんは食べ始めて少しすると隣の隣の親子と話しだした。家族だったの君等? あと到着時間ズレすぎじゃね?

持ち帰りの客の列も伸びてきた。1人目の姉ちゃんは俺が座ったときからいた気がする。ピンポン音が鳴り、奥の席で「玉子来てないけど」に対して「すみません」という高い声。店内の空気が明らかに悪くなってきている。後ろのカレーの席にトッピングのほうれん草が届いた。客が軽ギレをする。「カレー冷めちゃったんだけど」「すみません温め直します」

高い声の「すみません」が繰り返される牛丼屋で、何でもそうなんだけど、別に謝ってほしいわけじゃないんだよな、と思う。仕事でも何でも。遅くなった、間違えたとかはもう起きてしまっているのだから、謝ってもらってもどうしようもない。イライラした体験や待ち時間がチャラになるわけでもない。謝ってもらったからといって気持ちよくなるわけでもない。申し訳無さそうだったり、真摯にこちらの顔を見てこられても困るだけだ。俺はそれに向き合って、許す行為をしたり表情演技をしなければならないのだろうか? それは俺に負荷をプラスしてはいないか?

謝るという行為が過去に対する何らかの働きかけになっているのがどうにも気に食わない、のかもしれない。俺も「すみません」と意図的に言うときがあるが、それは責任の所在がはっきりしないときに自分の責任だと表明するためのものでしかない。

「遅くなって大変申し訳ございません」の響きと共におろしポン酢牛丼の大盛りとサラダセットが届いた。謝罪がグレードアップしてるなと思いながら味噌汁の具だけ食べているとお茶がようやく届いた。冷たくてうまい。フレンチドレッシングを少量かけてサラダをやっつける。店内のまずい空気からさっさと抜け出たくて急いで牛丼をかっこんでいく。やはりポン酢はさっぱりしてていい。味噌汁の汁とお茶を飲み干して会計に向かう。ここでも並ぶが、こちらはおばちゃんではなく若いバイト君だった。彼が目も合わせず「お待たせしてすみません」の言葉もなく淡々とレジ作業をする姿が心地よく、少しすっきりとした気持ちで店を出た。

2024/09/20

原田マハ

原田マハの既刊を漁り始めました。

移動時間とかラーメン屋の並び待ちとかでまず『本日は、お日柄もよく』を読みまして、この本の著者は言葉の力を信じてんだなーというのが感じられたのがまず最初の感想。スピーチライターという職業(つまり一対多)にスポットライト当てながら、「聞く」という行為とか、一人に向けた言葉だったりそれが継がれていくこととか、あるいは発されなかった言葉も置かれている。エンタメ性をちゃんと両立させているのも良かったです。

その流れで『楽園のカンヴァス』も読んだんですが、まずテキストの段階で『本日は、お日柄もよく』と同一人物が書いたとは思えないのに驚き、こちらはシンプルに真贋鑑定や歴史の謎が置かれていて引き込まれると同時に関係性と時代の複数の線が並行していて、構成としてリッチで単純に面白い。『本日は、お日柄もよく』との共通性で言えば、「感動」とそれが継がれていくという営為に対する視点かな。

2冊でがらりと印象がかわってかついずれもエンタメ性との両立がめちゃめちゃ上手かったので次も買いました。基本的に作家単位で買うタイプなんすよね。

2024/05/05

ネタバレ平気な俺の思考

 最近『葉桜の季節に君を想うということ』を読みまして、で、この作品っていわゆる叙述トリックものなんですが、叙述トリックものだということは知った状態で読んだわけです。

俺はネタバレ全く気にならないタイプで、一方で世の中ではネタバレ嫌いな方のほうが多い印象なので、せっかくなので叙述トリックがあると知った状態での自分の読み方を記録しておこうかなとふと思いついたのでブログ書いてます。

叙述トリックがある小説なんだなーと知って読み始めるわけですが、別に叙述トリックを暴いてやろうと思いながら読むわけではなく普通に読みます。けっこう面白い。タイトルと表紙だと澄んだ感じの内容かなと思ってたんだけど意外と猥雑で軽い感じなのね、とか。

主人公はあんまり好きなタイプじゃないなーとか、古屋節子の心理描写もっとがっちりやったらいいのにとかまあそういう普通の感想を持ちながら読んでく。最後のほうはわりと忙しい印象のほうが強くて、叙述トリックのところに衝撃を受けるわけでもなく、なるほど辻褄合うなーという感想。

で、これは叙述トリックがあると知ってたから衝撃が少なかったのか、と考えたんだけど、そういうわけじゃないと思うんですよね。別にストーリーを知ってる物語だったとしても感動するし、知らなくてどんでん返しがあっても面白くないものは面白くない。

もしかしたら初回の衝撃が薄まる?ネタバレ嫌いなひとは体験を重視してるのかしら?って思ったんだけど、ネタバレってあらすじで体験ではないよなとも思う。エロゲでこの子と最終的にセックスするんですよって知ってたからと言って俺の体験(意味深)は変わらないわけじゃないですか。

ネタバレ嫌いなひとの心理やっぱわかんないので詳述したの読みたい。ネタバレするひとを嫌う心理ならわかるんだけど。

2024/02/08

サンクチュアリ2話まで

浅草キッドを見たくてネトフリ入ったのでついでにサンクチュアリを見始めました。

2話まで見た感想としては、めっちゃドラマドラマしてるというもの。ベタに青春をしてベタに若者をやって、ベタに人気の出そうな元ヤンで出自に暗いところがある力士を主人公にしてる。女性の使い方もそう。

ただ、明らかに良いのは、静止した映像の使い方(写真が印象的に使われているのもそう)。時間がリッチに使われていて、その一方で説明を省く部分が多い。ベタな部分をベタに描くから印象に残りやすくもなってる。ベタな部分で思考を省けるので、そうでない部分に観てる側として思考のリソースを割きやすい=気づきやすいってのもある。

いわゆる相撲部屋におけるかわいがりのシーンの動画としての力は強いんだけど、視聴を継続するほどではない。ここまでで出色なのは2話ラストの四股です。主人公の行き場のない感情がやっと行き先(大地)に向けられたというのが美しい。

何話あるのかどうなるのかも知らないですが、しばらく見てみようと思います。

2024/02/05

浅草キッド

浅草キッドを見た。

千春(門脇麦)の演技だけでも見る価値がある。彼女がタケを/自分を見る視線は、彼女の人生に居て、居なくなった人を見る視線として完璧だった。私達はたくさんの人に会うけども、人生に居る人は滅多に居ないし、自分を主人公にすることも全員ができるわけではない。

師匠(大泉洋)とタケ(柳楽優弥)の演技が特筆すべきほどいいは思わないが、再開のシーンで小遣いから遅れて師匠がボケるシーンは、彼のブランクも表現されているから素晴らしい。その後、いい服を着ている(つまり、残していた)こともタケがハイヒールを揃えた(つまり、覚えていた)のも。忘れなかったもの。

ラストのタップは気障で、気障ったらしくってぴったり。青春に粋は似合わないから。

2024/01/18

松本人志と太田光

文春の記事については触れません。この二人の対比についてつらつらと思い浮かんだことについて。

松本人志で一番印象に残っているのは『寸止め海峡(仮題)』のラストに流れていた言葉。

神が人間をつくったと偉ぶるなら
「それが どうした」
と、言ってやる。
オレは笑いをつくっている。

この傲慢さ、あるいは面白い奴が一番偉いという価値観、ルールメーカーとしての松本人志、俺の笑いを理解できない奴は笑いのセンスがない、という態度は数多くの(正誤は問わず)フォロワーを産んだ。俗っぽく言えば面白ければモテる、ということ。

一方で太田光の言葉で印象的なのは、太田上田での以下の言葉。

俺の中には一人の、一人のくたびれたサラリーマンを笑わすっていう、それが俺たちの役割だっていうのが俺の中にあって。
会社から帰ってきたくたびれたさ、サラリーマンかなんだかしんないけどさ、テレビつけるだろ? パッと映ったときに俺がさ「うわぁぁ今日も始まりましたー!」ってやってる。「こいつまたバカなことやってるよ」と「バカだなこの太田ってヤツはクソだ」ってチャンネル変える。
変えられちゃってもいいの。そういうことがその日常の一日疲れて帰ってきた時に、ふとその瞬間、「あぁ太田またバカやってる。俺のがマシだわ」って。そういう役割でもう十分だと思ってるの。

該当のYouTube。6分くらいから。
https://www.youtube.com/watch?v=eruD2nr_SSc

これは彼がよく言うピエロの凄さとも共通する価値観だけども、ピエロは一番偉くもないし、ましてや少年や青年の憧れにもならない。モテそうでもない。井口だったか鬼越だったかが言ってたけど「誰も太田光には憧れない」。

この二人の笑いは正反対で、だから太田光がサンジャポで

もし松本さんが、自分の今までの態度やなんかを、例えば玉座に座っていた王様が転げ落ちるという物語を、自分が面白いと思えるように作れるとするのであれば、その笑いこそが松本さんを救えると思うし。オレは、そういう意味でいうと、松本さんは笑いのすぐとなりにいると思う。

と語ったのは的を完全に外している。それは松本人志の笑いではないし、もしそれをしてしまったら、彼のファン(だった)ひとも彼に憧れたフォロワーは心底がっかりするだろうから。

あ、どうなって欲しいとかはないです。

2022/06/07

保証された思考

最近はすっかりナマモノの少女を眺めてばかりいます。

表象された現象をただ観測すべきだという考えと、その現象から頭蓋骨に囲まれたブラックボックスの重力を感じるってのは変わんないんですが。

違いがあるとすれば、ブラックボックスの重さが保証されているってとこで、そこを妄想して辻褄を合わせる必要がない。わかりやすく言うと、俺がいちばん分かってる必要がないってとこですかね。俺とは無関係に存在しているので。

そういえば先日めっちゃひさしぶりに球場行って野球みたら楽しかったっす。ビール2杯飲んだのはいいけどよくわからないロンT買ったのは浮かれてたのかしらん。

2021/04/23

アニメ

GW前で忙しいというよりてんやわんやしてるんですがアニメの話でも。

といっても2つしか見てないんですが、シャドーハウスとスーパーカブ。シャドーハウスは1話録画してなかったんですが1話huluか何かで見たら即「これは見るな…」ってなったようです。我ながらわかりやすい。つーか何故即わかるのだろう。学習?

シャドーハウスは絵もかわいいっちゃかわいいんですが何より動きがかわいくて、エミリコが足跳ねて起きるとことか地味な背伸びとか窓拭いてるとこの微妙な体勢の変化とかいろいろあるんですが、たぶんこの動きのかわいさってのは作品上要請されてる部分で、影絵であるケイト様をかわいく見せてしまう(実際それは成功しててまんまとかわいい)ためにってのがあるはずだと書いてて気づいた(遅い)。かなり好みです。

スーパーカブ。こっちは1話から録画してたんですが、1、2話の印象は正直主人公ちゃんに興味が湧く部分はほぼ無くて(1話でカブ乗って帰宅した駐車場くらいかしら)、学校なり道なりの雑音の多さのほうに意識いってた感じっすね。雑音が非常に多いんだけど、もちろん普通の生活において発生しているものよりわざと増やしているわけではなく、このアニメを見ているときだけ意識されるという不思議な感覚でした。

そんな感じなのであとはヒロインに興味持てればなーと思ってたわけですが、3話。主人公の小熊がカブのケツに付ける荷箱を貰いに行くシーンで完全に切り替わりました。古いカブからドライバーとスパナ使ってハコ外すとこで、楽しそうに見える表情をした。あ、この子こういうとこで興味湧くんだって思って、そこから小熊の反応(現象)を観察するモードに入ったっぽい。なので後半のゴーグルの一連も反応を観察しながら見てたわけですが、買ったあとにサイドミラーでゴーグル着けた自分の顔確認する絵も、スピード出しても風が平気だと確認しての笑顔の迫力も(それまでのへにょ笑いと違って)抜群によい。おもしれーです。

以上。

2021/03/14

エヴァ見てきた

クソ長いエンドロールと帰りの車の中でちょっと考えたんだけど、やっぱり第一感としては「時間経ったなぁ」が大きい。これは、この映画あるいはエヴァンゲリオンという作品自体が古臭いという話ではなくて、作者がかつての視聴者に対して誠実に答えようとしている印象を受けたからだと思う。

シンプルかつ既知の筋に対して、はっきり言ってしまえば解説的に過ぎるほどに言葉も時間も尽くして説明が行われる。最初の振り返りパートも含めてもいいかもしれない。俺個人としては解説的なのは好みではないのだけど、アスカの台詞(あれも、過去の彼女を自身で「解説」している)にちょっとびっくりするくらい衝撃を受けたのも事実である。もちろん、あの言葉はアスカ内での時間の経過によるものと捉えることは可能で、アスカと幼なじみしたい勢としてはヤバかったりするんですが、それが「時間経ったなぁ」という印象を補強する方に働いているのかはよくわからない。

解説は他にもいっぱいあって、ミサトさんに渡された写真がツーショットであるのもそう。気づいていないものもいっぱいあるんでしょう。ただ、全編通してシンジくんはシンジくんしてて、アスカは完全にアスカで、綾波に仕事させるのは嫌悪感がヤバかったですが、まあみんなキャラ通りだった。それは逆に何も新しいものはないということで、ただ時間をかけてちゃんと回答しようとしていたのが違っていた。ゲンドウの表示も、ラストの駅も。

ちゃんと自分で自身を「解説」してもよい、となってしまった。だから時間経ったなぁ、と。で、俺もつきあって聞いてはいました。これも時間経ったなぁ、と。そして終劇。終わっちゃった。

サヨナラはまた会えますようにっていうお願いだとどっかで聞いた気がしますが、普通に別れの挨拶ですかね。

ただ、今でもアスカに性的に興奮したのでそこは時間経ってないようでした(おし☆まい

2021/01/20

フリクションガールもったいなさすぎる

フリクションガール3巻買ってうーちゃんにめろめろになってたら最終巻だったらしくてもったいなさすぎる。。。


ボルダリング漫画としても良いのだと思う(まず絵がよい)んだけどそんなことよりとにかく主人公のうーちゃんの見た目(細い)とか挙動としゃべり方の絶妙にイラッとする感じ(長時間うーちゃんの話とかぜったい聞けなさそうだしうーちゃん問い詰めていじめたくなるに違いないとこ)とかがもうたまらなくてというか直截的に言うと性的にこうふんするというか。。


でこんなもったいない気分になったのいつ以来じゃろとか考えててクロプラより玩具堂かもしらんと思い浮かんでAmazon検索したら探偵くんと鋭い山田さんとかいうのを知ったので買ったようです。子ひつじみたいな感じかしらん


しかしホントもったいない。。うーちゃんかわいいのに……

2020/07/01

『ATRI -My Dear Moments-』 感想

ATRIプレイしたので感想書いときます。

読んでいる途中ずっと頭の中にあったのは、「高性能」なロボとはという問いです。

「高性能」という単語は美少女ロボでちっちゃくて元気に手を挙げてドヤ顔してるのでかわいいアトリがよく「高性能ですから!」とか言うし高性能なはだしだったり高性能なのではみがきが上手にできなかったり高性能なおへそ(それは俺の妄想である)だったり高性能なのできれいな水を流すのだろうかとか考えながら読んでしまうので強制的に印象付けられた記憶があります。

一方でアトリは歯磨きが上手にできない(重要)だけでなくて、料理とか掃除とかも別に得意ではなかったりして、一般的にイメージされる高性能なロボットではない(ポンコツは差別語だと学習したぞ)です。主人公くんの失われた足を補償するだけなら、別に義足でも構わないし、高性能な義足であればきっと足としての機能を人型ロボットなどより完全にこなすだろう。幅も取らないし。

では、「高性能」とは何なのか。物語内でいくつもその手がかりとなるだろう場面が置かれていて、例えば体験版終わりくらいの校舎に電気を引くシーン。ここで、アトリがよく嫉妬する相手である主人公の友人、竜司がモノ作ったりして活躍する。主人公くんの脳だけではできなくて、「高性能」な手があったから実現された。つまり、身体が拡張されている。あるいは同じシーンで、電気のない水没した世界の機能不全な初等教育と可能性が明らかにマッチしていない凛々花という少女が「夜でも本が読める」ようになることだとか、アカデミーというものの存在を認識すること。これもやっぱり凛々花を拡張している。

少なくとも俺の中ではこの時点で、拡張という意味で「高性能」という言葉を使っているのだろうと仮定されてたと思います。

もう一つ性能に関わるワードとして、機能の話もちょこちょこ出てきて、例えば栄養摂取機能がないアトリが美味しいものを食べるシーンだったり、あるいは高性能なはだしを持つアトリの靴の話であったりですね。無駄なものに喜びがある、と。歯磨きが上手にできる高機能なロボではなく、歯磨きが上手にできなくてマスターに歯磨きをしてもらわなければならないロボが高性能ですから!(ドヤ)と。

機能の話が完璧な絵として表現されるのがアトリとのキスシーンの一枚絵というのもすげー良くて、このときアトリはそもそも高機能なはだしには不要ないつものローファーですらなく歩くだけなら機能性の低いヒール付きのサンダルを履いている。後にアトリはこの靴の機能として主人公くんと顔が近くなると挙げていますが、このキスシーンの絵では、その顔が近づくという機能すら放棄されていて、アトリは背伸びしていてヒールが地面から浮いてしまっている。主人公くんがいつも使っている杖がアトリのヒールのちょうど横でしっかり接地しているのと対比されながら。一枚絵の中で機能ではないということが象徴されている。

とにかく本編を通して「高性能」とはってのが一本貫かれてるんですよね。ED前のシーンもそうで、主人公くんは確かにアトリに拡張されてしまった。補償の義足をつけていたときの、かつて在ったものへの幻肢痛は、未だ見ないものへの幻視痛=希求に転換されていて。完璧なラストかつプロローグにもなっていると思います。

こんなとこかしら。何はともあれめっちゃ面白かったっす。ところで最後プロローグにもなってると書きましたが、ちゃんと続編できそうだなというのも思いました。ここをプロローグにして、一本道タイプでアカデミー編だとかいろいろあるところどころで個別分岐のアトリtrueみたいな感じのやつ。凛々花ルートみたいのではよ。

2019/12/14

Dr.STONE1期

Dr.STONEの1期みおわった。俺これすげー好きっすね。

もともとジャンプ連載でそんな注目して読んでたわけではなく、ただ時々突出した回(たとえばスイカの眼鏡回とか)がある漫画という印象だったんだけど、アニメになって通して見てみるとすごく良く組んであるのがわかって、俺は正しく配置されてる感が大好物なのでかなり面白かったっす。

お話の流れとしては、謎の石化光線で現代人がみんな石化させられて現代文明が滅びて三千年経ったところで科学少年だった主人公の千空が復活して、たまたま石化光線逃れた宇宙飛行士組(含む千空の義父)の子孫たち(まだ狩猟採集レベル)と出会ったりしつつ千空の科学知識を基に少しずつ三千年後の世界(STONE WORLD)の科学レベルをステップアップさせていくって形ですね。ガラスつくったり電球灯したり、アニメのラストでレコードプレーヤーまで到達。あとラーメン

通して見たときにまず気づくのは、千空の科学知識に基づいた俺Tueの中で、実は千空は現代に既にあったものを再現/再発明しているだけで、彼はいまのところ一度も発見/発明をしていないって点です。STONE WORLDにおいて最も優れた科学能力を持っているのだけれど。これが意識的に描かれていることがあからさまになったのが、クロムが前知識なしで水車を再発明したシーン。車輪の再発明って言葉がありますけど、クロムの再発明はこれまでに千空=先人から学んだ科学知識をベースに確かに「発明」したもので、千空が再現したものとは明らかに違う。このシーンは、車輪の再発明の絵でまったく別のものを表現してたり、作り上げるまでにいろいろなものが組まれる(千空とクロムの出会いもそうですが、カセキのじーさんだとかスイカ(ちっちゃい)とか他のメンツもそう)様子と、全てが正しく組まれなければ全部回らないという歯車系が意識されてかなり印象的です。その中で、STONE WORLDにも知識ではなく行為としての科学が確かにあるのがすとんとくる、という。

正しい配置という意味ではマグマ回だとかカセキのじーさん回だとかでも表現されてて、ただマグマ回はちょっとクサいかしら。でもまあ正しく配置されるのは好きです。1期ラストのレコードが入ったタイムカプセルは、千空だけでは開くことができなかったわけで。とにかくこまごまと意識的なんですよね。物語構成だけでなく、一枚絵的な絵においてもそう。星と電球、水車とレコード、etc.

あーそういや、STONE(石)と意思もかかってますな。ダジャレや。でもこちらも悪くないです。2期いつなんじゃろ。

2019/12/12

筋トレめも

筋トレ再開してしばらく続いてるのでひさびさにメモ。

前のメモだと2分割でA→B→休み→A→B→休みの順でやってたっぽいんだけどここしばらくは胸・背中・下半身の3分割で毎週A→B→C→休み→A→B→Cのサイクルでやってました。で悪くはなかったんですが肩がいまいち伸びなかったので今週また変えて今は

A:胸+背中
・ダンベルプレス
・ディップス
・チンニング(逆手フル)
・ワンハンドロウ

B:肩+腕
・アーノルドプレス
・アップライトロウ
・サイドライイングリアレイズ
・ダンベルカール

C:脚+腹
・ブルガリアンスクワット
・シシースクワット
・デッドリフト/ヒップスラスト
・レッグツイスト/膝コロ

でしばらく試してみようかなといった感じっす。再開してからわりと真面目にやってたおかげで懸垂とかけっこう伸びて体脂肪率も2~2.5%くらい減って見た目もだいぶくっきりしてきたんですが、肩と上腕二頭筋、あとは大胸筋の下外側が相対的にしょぼいのでそのへんどうにかしたくて肩メインの日つくったりディップス・ダンベルカール入れたりしたメニューですな。あとは地味にブルスクがケツばっかに効いて大腿四頭筋に効いてない感じだったので追い込み用にシシースクワット入れたり。

走るのはしばらくサボってます。寒いのと師走ってて時間とれないののダブルヘッダーで。。もうエアロバイクとかスピンバイクとか買って家でやろうかとも思ったんだけど探してみるといまいちハマるのがなくてやめました。

おわり。

2019/07/30

何を書こうかしらと思いながらとりあえず開いた。

昼にREV氏のブクマのRSSでとあるなんちゃらを見つけて読んでからつらつら考えてたかと言われるとまあそんなこともなく、わりと忙しかったり嫌な打ち合わせをしたりして夕方にひといきつくかとタバコ吸いに行ったらまた蚊に襲われた。かゆい。ところで昔あんまり蚊に喰われないひとだったんだけど体質変わったんだろうか。アイコスに変えたせいか先日の健康診断の結果がひどすぎたせいか疑惑がつきまとってたりする。

で家に帰ってきて部屋が暑いというかもんわりしすぎてて熱帯低気圧なので嫌ねえと思いながら今日も今日とてキムチ鍋の準備をしてからシャワー浴びて弱火でにる!(かわいい)したところでいつの間にやらはてブのトップに来てた増田をまた開いたわけです。そろそろ鍋見に行かねば。

鍋見てきた。ちょっとかき混ぜて冷凍ご飯をチンしてとりあえず増田もっかい読む。コンビニパート読み終わる前にレンチン終わった。飯食いながら読む。

なんで俺は飯食いながらおっさんが下剤を飲んだ話を読んでいるのか。というかその前に謎の味ってどんな味だっけってなった。書いてましたっけ。

めしくった。

俺は「わかる」ってのがあまり好きではないので、検知されたくない感覚については置いておきます。ただ、"ありがとう" というワードに関しては、別に義理堅くなくてもいいんじゃないか、と思った。まあ俺が直接会ったことも話したこともないってのもあるだろうけど、インターネットなので、別に返事はしなくていいはずだし、別に飯食いながら読んでもかまわないし、お兄ちゃんの友達とセックスしながら「晩ごはん何が良い?」ってお兄ちゃんにLINEしても(それはよくない

何を書こうとしたわけでもなくただ文字だけ置いた感すごい。でもまあ、放送なので良いことにしましょ。ではまた来週。

https://anond.hatelabo.jp/20190729204723

2019/03/31

今日はてブに上がってた送辞の「内なる多様性」とかそのブコメの「優しくなりたくて東大に入りました」とか見てたらNHKにイチロー出てて引退会見の孤独の話を思い出したりしてたら思うことあったのでちょっと書きます。

イチローの引退会見は地味に生で見てたんですが、最後の質問「孤独感」ですね、その回答で「外国人になったことで人の心をおもんぱかったり、痛みが分かったり、今までなかった自分が現れた」と言ってたのが一番印象に残っていて、この「外国人」はおそらく「alien」と訳される類のもので、要は異邦人です。この体験自体は、別にイチローである必要もなく異邦人になったときにありふれたものだと思います。

異邦人、異世界転生でもいいですが、まずクリアすべきなのは言語の問題ですよね。あいつは何考えてんのかわからない。言葉が通じないやつだってのはけっこう痛くて、極端に言えば動物と同じ扱いをする/されるしかなくなる。

一方で、イチローのスペックって、男で野球が上手くて日本人一般からすれば身体がでかく、高校時代のエピソードなんかみても陽キャでってもんで、おそらく彼の位置からは見えようがないものってのはけっこうあったと思うんですよ。俺が男でガタイがよくて~で見えないものがあるのと同じようにです。俺の目からは世の中にやまほど痴漢がいるようには決して見えない。

けっこう見えないものってあって、「内なる多様性」と言った総長なんかは昔流行った上級国民のルートで言えばガチのやつで育ってきた方だったと記憶してますが、似たようなルートで育った子が一緒に飯くったときに会計で簡単なおつりの引き算ができない高校生バイトに本気で驚いてたのを思い出したり。それが悪いというわけではなく、ただそういう見えなさもあるんだと。お嬢様にラーメンでもいいです(そうか?

「内なる多様性」という言葉はおそらく想像力を信じている。でもたぶんそれは間違っていて、イチローの回答にあった「自分の中からは生まれないので」のほうがしっくり来ます。答辞の「優しくなりたくて東大に入りました」も一文を抜き出してしまうと、東大で学べるものを信じているように思える。

ここからどう繋がるのか気になりますが、学習から繋げるならば、学習することによって限界を知るということのほうが俺には重要に思えています。無限の可能性から有限の皮膚という境界にsettleする。

「ま、こんなものかなぁという感覚」と言い換えてもいいです。

2019/03/21

おとうさんがいないおんなのこフェチさんは、

おとうさんがいないおんなのこフェチさんですこんばんわ。

先日おとうさんがいないおんなのこ見開きバーンからはじまるスローループを読んだり散歩中につらつら娘(いない)の結婚式のスピーチを考えたりしててしかもそれに違和感なかったりしたのもあって、おとうさんがいないおんなのこフェチさんについてつらつらと考えています。

そういえばりゅうおうのおしごとで言うと天衣派なわけですが天衣もやはりおとうさんがいません。ぽってにもおとうさんがいません。

最近エロゲをやる元気がわかないんですが、おとうさんがいないおんなのこを眺めるエロゲならできるかもしれない。でもおとうさんがいないおんなのこのえろしーんはみたくなくて、なんならお金払ってもいいからみたくない。佐藤順一がぽってのえろしーんを作らないクラウドファンディングやったらめっちゃもうかりそうだよね。

そんで本題ですけど、おとうさんがいないおんなのこのフェチさんは何がしたいのかというのを考えていた。たとえば光源氏だとかマイフェアレディしたくはないわけです。もっと言えば別に育てたいわけでもない。じゃあ空気になりたいかと言われると積極的にyesではなくて、これは例えば天衣に対してお嬢様!してる晶さんしたくはあるので。

足長おじさんしたいのかもなぁと思わなくもないんですが、この場合どこかでフェードアウトする必要はたぶんあって、妹モノでお兄ちゃんがもはや映らなくなって画面内では妹がクラスメイトと過ごしてるだけのやつとか好きですしおすし。おとうさんがいないおんなのこの声がBGMになるのが個人的にハマったフラグなのとも合致してます。

フェードアウトする方向ということで考えてみると、たとえば逆にたまゆらのラストでぽってが竹原から出発する。こっちでも良くて、いずれにせよおとうさんがいないおんなのこの人生とフェードアウトの両方があるとよい。たぶん。晶さんみたいに応援もしたかったりしつつ。

だとすれば、1. おとうさんがいないおんなのこのおじいちゃんになってフェードアウトするパターンと、2. おとうさんがいないおんなのこの執事になってもう必要なくなってしまうパターンがしたいのだろうと思う。たぶん。

まー書いてみてもなにもすっきりしないし、うすらぐらくなってきたのでやめますかね。もうちょっととりとめられる気がしていたのだけど。

2018/09/12

ラノベの表紙の話みてて思いだしたんですが、えっちなのはいけませんに対する合意は結局どうなってんのかしら。ふわふわしてるように見えています。ちなみに表紙の件について俺はセカイは分断しようぜ主義なのでゾーニングへの親和性は高いです。だから逆に完全に無くせというのには強く反対するわけですが。これは実空間がひとつしかない時点で、公共の場は私的空間の集合だという思いから来ています。

さて、えっちなのはいけません。についてですが、この主張においてよく引き合いに出されるのは「子供に見せられない」というやつ。ただこれは方便だと俺は感じています。例えば性教育をまともに受けていない子供がえっちなものを見て興味を持つと望まれない妊娠うんぬんとか暴力的なセックスとか言われたりして、なるほどそれはよろしくないんですが、その一方で、コンドーム配布なんかもそうですが、早めの性教育という話もあったりする。

この対処療法自体については良いパッチだと思っていますが、ただ正しいセックスとはなんぞやとなるとまたわかんないよぉ…ってなる。いちゃらぶは正義ということか。いちゃらぶゲーやりたい(あれ?)。ともあれ、いちゃらぶにせよいちゃらぶが性欲と接続されていて、だとすると性欲からセックスを切り離してしまったら例えば異性愛だとただの生殖行為で、それ以外だとなんだろう、いっしょにとれーにんぐ的なことになってしまう。おんなのこがひとりで部屋でうんどう(隠語)をしてるのいいよね……。ところで真面目な話をすると脊柱起立筋は鍛えたほうがいいと切に思います。最近つかれてサボりつづけてたけどそろそろ涼しくなったし再開せねば。

さて、いちゃらぶちゅっちゅ愛情☆MAXからのセックスが正しいとしましょう。では、愛情のあるセックスの本が本屋にあふれたとして自分の子供にそれを見せたいのか?という疑問が出てくる。なぜコウノトリさんはOKなのか(「コウノトリさんです~」ってここなちゃんが言ってる絵が浮かんでいるようです)

お父さんとお母さんはいちゃらぶちゅっちゅからのセックスしてお前が生まれたんだよ、と言えるひとが大多数なのかという疑問があります。もちろんわかりゃしないんですが。それなりにいちゃらぶセックスなイベントシーンをモニター越しに眺めて涙が出てきた記憶で言うと、いちゃらぶセックスは、それが二人だけの秘密だよ(はぁと)ってなってて欲しいんですよね。つまり、極めて私的であると同時に、特定の相手のみに共有されている。

だから、えっちなのはいけません。は俺は私的空間に隠されていて欲しいということだと思っています。だから、キモいという主張は表紙の絵自体に対してではなく、それが公的空間に開示されていること自体に対する拒否反応なんじゃないかなとゲスパーしてしまっている。ただこれだと路チューとかへの拒否反応と一緒になってしまうし、夜は娼婦と同じラインに乗ってしまうのでは?という疑問も出てくる。

とするとヒロインが性的な絵で陳列されていること自体が問題なのだろうというところに結局もどってくる。あるいはこれで勃起するひとがいると想像させること自体がキモいというところですね。個人的な意見としては、後者を直接的に問題視するのが私的空間への干渉だとしても、一方で自分の属性がそのように知らいないひとにまなざされるものだ(あえてまなざしという言葉を使っています)というのは、まとわりついて気持ちが悪いので、某先生には賛成です。

なんかだらだら書いてて思ったのは、結局本屋はパブリックか、という問いに帰着するなと。もっと細かく言えば、俺は少女漫画コーナーは誰もいないときにそしらぬ顔で行きますが、少女漫画コーナーが18禁みたいな垂れ幕で分離されてしまっていたら入りやすかったりするのかな、とか。まあ最初に書いたとおり、ゾーニングに親和性が高いひとの繰り言ですが。

んー。

2018/08/29

"「インターネットは人びとを分断しているのではないか」という懸念" という文字列を見たので。あの記事の本筋とは全く関係ありません。

死刑の話だとか再犯の話とかでも思ったんだけど、結局のところ世界が一つしかないことが問題なんだろうなと思うことがままあります。殺人鬼と同じ場所にいられるか!ってやつは俺もふつうに同意しますし。そんで問題なのは、殺人鬼と同じ世界にいられるか!と言って出て行ける別の世界は存在しない点なんじゃないかなと。

ところで、ネット/リアルなんて言ってたころは表現にすでに分断が現れているわけですが、それが悪いことだったとは俺は思っていない。さらに、ネットワークというのは、分断が容易なように設計されている。少なくとも実世界よりはずっと。システムの話でなくても、サイトでのコメント欄の違いとかもっと細かくクラスタうんぬんでも集合の性質が違ってたりする。いろんな国に分かれているみたいに。ただこれ、移動が容易に出来るんですよ。

国境のようなもので分断された世界が問題になるのは、もし最悪の場所に自分が所属していたときに、そこに所属し続けなければならないというのが一番だと思うんですよね。まあ衝突そのもののほうが問題だと言うのであれば、グローバルなルールを作るなりするしかないですが、それは当然均一化を含んでいる。

俺はそれよりは、せっかく移動が容易でありながら分断ができる道具を手に入れたのであれば、有効活用したほうがいいんじゃないかなと思ったりします。まあもう無理かなとも思うんですが。どうやら人間は人間に実際に会うのが好きらしいので。

2018/08/28

ダンス・ダンス・ダンス

拘束されているというならば、しがらみや集団だとか重力だとかよりもっとずっと自分の身体に縛られている。

重力や大気からの、まとわりつく全てからの解放を跳ぶことで表現するのだとして、なぜその時に手を伸ばさなければならないのか。鍛えられた肉体で魅せているという単純な話なのか。

手を伸ばすという行為はその先のものを目的としている。まだ手に入っていないもの。自分に属していないもの。

踊ることは、おそらく最終的に非身体性を求めている。