TLに流れてきたので読んでみた。えーっと、百合SF?になるのかしら。幼なじみ、百合、ロボットあたりがキーワードですけど、タイトルが『となりのロボット』となってるように、ロボットものとして素晴らしい。
主な登場人物は、人間の少女であるチカと17歳の少女型ロボットであるヒロちゃんの二人。二人が初めて出会ったのはチカが4歳のときで、回想をはさみながら、17歳の二人の時間が主に描かれます。ちなみにここ↓で試し読みできるようです。
http://tap.akitashoten.co.jp/comics/tonarino
んじゃ以下ネタバレ感想。
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ロボットと言ってぱっと浮かぶのは、機械的(アルゴリズムによる判断)、変化のなさ、おしっこが純水の3点ですが、前者2点に焦点を当てて非常に丁寧に書いてあります。
前半は人間であるチカ側に焦点が当たっていて、「変化」という点についてチカとヒロちゃんが対比される。わかりやすいところでは、初めて会った4歳のときから、ヒロちゃんの身長を追い越してしまった今との外面的な変化ですね。ただ、ここで秀逸なのは、変化しないヒロちゃんの外見と変化する自己の外見を見つめたチカが、勝手に成長していく自己の身体に取り残されたような感覚を抱く場面。そしてそれが二人が17歳という同じ時間にいる瞬間へのチカの執着に繋がっていく。
この時間の貴重さを認識しているから、ヒロちゃんの身長を初めて追い越した日に、かつてヒロちゃんに(不正確に)褒められて以来ずっとつけていたリボンを外して、子供の時間を終わらせようとした。その一方で、直後の「私のこと、忘れないでね」という台詞は、「この瞬間の」という(つまり、全ての瞬間の)私のことを覚えていてという幼稚な欲望であったりして何というかチカえろいよね。
しかもこの後、ヒロちゃんが6年前のチカが喜んだリボンをプレゼントしてきたらリボンつけるようになっちゃうという。貴重な時間の中で、同一点にいるヒロちゃんと、6年前のリボンをつけたままの自分を認識しながら、チカが人形(ヒトガタ)に抱かれる夢に沈むシーンは、この漫画で最もエロいシーンでしょう。
まあこんな感じでチカと彼女から見た「変わらない」ヒロちゃんを描いた後で、ヒロちゃん(プラハ)の変化の説明に入るんですが、ここからがこの作品の肝っすね。ロボットは変わらないし、プログラムに従うものであるという前提のもと、ヒロちゃんが「ロボットとして最大限」チカを愛する様が描かれていく。
ヒロちゃんは、外部から入力されたデータを評価関数に基づいて取捨選択し記録する。語彙や表情の記録に基づいて出力を行う。これはヒロちゃんが作られたときから変わらない。当然、チカと初めて会ったときからも変わらない。
ヒロちゃんがこの「変わらない」アルゴリズムを元に動作する様が、チカちゃんや、ヒロちゃんの産みの親である沖島先生といった、ヒロちゃんが最上位に評価する対象との交流を通じて丁寧に表現される。
ヒロちゃんはチカのことを「好き」だと言う。チカとともに変化して学んだ語彙を使って。チカのデータを重要だと評価して優先的に記録してきた。今、ヒロちゃんが最上位に評価するものは、チカの笑顔だ。そして、もっとチカのデータを記録したいと出力する。それがヒロちゃんの「好き」だ。
評価関数は外的要因によって変動する。学習により出力される表情や語彙が変化する。それらは全て単純なプログラムとして表現可能だ。だけど、それが何を貶めるというのだろう?と。
そして、物語のクライマックスで、チカがこの本質に気づいていたことが明かされる。
チカはヒロちゃんが「ロボット」だという前提(これは、チカがヒロちゃんと出会って、成長とともに最先端でない「ロボット一般」について情報を得た結果のものでしょう)があるので、ヒロちゃんを「変わらない」とかヒトガタでしかないと口にし続けていた。だけどその一方で、ヒロちゃんの記録と出力(6年前のリボンもそう)に異常に執着する。
水族館デートの後、ヒロちゃんが今日のことを覚えているかを気にするチカに対して、研究所の職員が「もしもプラハ(※ヒロちゃん)が忘れてしまったとしても 君が覚えていてくれればいいんだよ」と答える場面。一見正しいこの言葉に対し、チカは「それは自己満足でしかない」と言い切る。チカはヒロちゃんの記録にこだわる。ヒロちゃんの出力にこだわる。ヒロちゃんが、データを入力し、評価して取捨選択して記録し、私との思い出を最上位に記録し、私との十数年で学んだ笑顔を出力してくれることに。
チカは、ヒロちゃんによる「ロボットとして最大限」の愛を、最上位に評価する。