2014/12/21

尾崎かおり『神様がうそをつく。』

祈るような物語というものがある。読んでいるときに、読み終わった後に、登場人物の幸福を祈らずにはいられなくなるような物語。あるいは、本そのものが、祈りを外に放つような物語。

尾崎かおり『神様がうそをつく。』は、11歳の普通の少年(夏留)と、どこか大人びてみえるクラスメイトの少女(理生)のひと夏のお話。物語は、放課後の教室に差し込む夏の日差しと風の中に立つ理生に、夏留が見惚れる場面から始まる。

ここで試し読みできるようです。

あとこのMADも良いですね。
【MAD】 風に吹かれて 【神様がうそをつく。】

以下はネタバレを含むポエム。







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基本的に、夏留が飼えない猫を拾ったり、所属しているサッカーチームの新しいコーチと合わなかったりというような、11歳の少年としてありふれた悩みをきっかけとして夏留と理生との仲が進展していく。猫を理生が代わりに飼ったり、サッカーチームの合宿に行きたくない夏留を理生が自分の家に泊めたり。

この中で、夏留は理生の秘密を知っていく。それは社会一般から見て「重い」ものもあれば、理生の作るハンバーグの味や、理生の肩の温かさのような、11歳の少年にとって重大なものもある。自分とは別の生き物である「自分」を持つ他者を初めて知っていくような交流。そして祭りのあと、夏の雨の中で、子供だけが持つ世界の広さと自由の中で、夏留は理生を好きになった。とても当たり前なことのように。

子供だけが持つ世界の広さと自由は、子供であるが故の世界の狭さと世界に対する無力さの表裏だ。この物語には、夏留たちに優しい大人も、他人でしかない大人も、ろくでもない大人も等しく登場する。世界は等質ではないが、総体としてフラットなものとして描かれる。だからこそ、子供にはどうしようもないことも起こる。

そうした世界からの、夏留と理生の逃避行は、「どこにも行けない冒険」なのだろうか。それとも「さいはてまでだって」行ける冒険なのだろうか。家出の範疇でしかない逃避行の果てで、彼らは「さいはて」の夢を語りながら、「どこにも行けない」押入れの中でキスをする。

神様がうそをつく。幸福という嘘を。それに騙されて生きていく。これは希望の物語である。