異様に気が滅入っているようです。まあ麻疹みたいなもんです。閉じる閉じる。嫌な感じ。
俺から独立した世界に惹かれ続けてもうどのくらい経ったんだろう。例えばらき☆すたとかですよね。CMやろうが踊ろうがイニDやろうが何しようが、彼女たちの存在に全く違和感を持たせないという点で、やっぱり特別な世界。
実存しているという感覚は、疎外されているという感覚と同じところにある。これは、自分の醜さとか美しさとかとはきっと関係ない。世界はこんなもんだという諦めが、絶望と等しいというのは確かにその通りなんだけど。俺と独立して存在する世界が愛しく思ってしまったら、そりゃ俺の意味は消失する。
俺の意味とは何か。自分に異様な自信を持つ人間は置いといて、自分が(他者との権利の衝突において)劣等しているという感覚から離れられない人間にとっては(卑近なことで言うならば、店に長居できないとかでもいい)、世界との接続に依るしかない。世界は美しい。それに接続している自分も価値がある、と。
でも、その物語にもハマれない。嗜好はそちらを向いていない。触れられるものを嫌いつづけて(それはミサトをボロクソにレイプしたいと思ったのと恐らく同じもの)、近いものを気持ち悪いと思ってしまった阿呆には。
独立した世界を評価する。そうしてまた意味のなさを確認する。意味はやはりないのだと。これがあるならもういいかーと。たまゆらはそういう物語。ひだまりは違う。なぜゆのっちの残り湯が飲めないのかと怒る物語。
そう、怒る物語。なんだかんだ言って怒りはエネルギーを生むから。なんで彼女が死ななければならないのか、と。世界は間違っているという感覚。今ならクロスアンジュの絞首台でのアンジュの無抵抗による戦い。世界に、運命そのものに喧嘩を売る。私を運命が殺すのならば殺してみせろと。アンジュは美しい。でも俺のそれは何だろう。だいたいお前は眼鏡を手に入れてから世界を直視したことがあるのか?新聞ながめてグチグチ言うおっさんの慰撫と何が違うのか。
そういったものを嫌わずにはいられない。怒るためにAIRを起動するわけにはいかない。潔癖さを嫌悪しながら、最低ラインで潔癖さから離れられない自分が、本当にどうしようもない。
誰も見ていないインターネッツに投げる。同じことを思っているひとがいる「かもしれない」インターネットに放る言葉というと、やはり一つしか思い浮かばない。
生きている人、いますか?