松本人志で一番印象に残っているのは『寸止め海峡(仮題)』のラストに流れていた言葉。
神が人間をつくったと偉ぶるなら「それが どうした」と、言ってやる。オレは笑いをつくっている。
この傲慢さ、あるいは面白い奴が一番偉いという価値観、ルールメーカーとしての松本人志、俺の笑いを理解できない奴は笑いのセンスがない、という態度は数多くの(正誤は問わず)フォロワーを産んだ。俗っぽく言えば面白ければモテる、ということ。
一方で太田光の言葉で印象的なのは、太田上田での以下の言葉。
俺の中には一人の、一人のくたびれたサラリーマンを笑わすっていう、それが俺たちの役割だっていうのが俺の中にあって。会社から帰ってきたくたびれたさ、サラリーマンかなんだかしんないけどさ、テレビつけるだろ? パッと映ったときに俺がさ「うわぁぁ今日も始まりましたー!」ってやってる。「こいつまたバカなことやってるよ」と「バカだなこの太田ってヤツはクソだ」ってチャンネル変える。変えられちゃってもいいの。そういうことがその日常の一日疲れて帰ってきた時に、ふとその瞬間、「あぁ太田またバカやってる。俺のがマシだわ」って。そういう役割でもう十分だと思ってるの。
該当のYouTube。6分くらいから。
https://www.youtube.com/watch?v=eruD2nr_SSc
これは彼がよく言うピエロの凄さとも共通する価値観だけども、ピエロは一番偉くもないし、ましてや少年や青年の憧れにもならない。モテそうでもない。井口だったか鬼越だったかが言ってたけど「誰も太田光には憧れない」。
この二人の笑いは正反対で、だから太田光がサンジャポで
もし松本さんが、自分の今までの態度やなんかを、例えば玉座に座っていた王様が転げ落ちるという物語を、自分が面白いと思えるように作れるとするのであれば、その笑いこそが松本さんを救えると思うし。オレは、そういう意味でいうと、松本さんは笑いのすぐとなりにいると思う。
と語ったのは的を完全に外している。それは松本人志の笑いではないし、もしそれをしてしまったら、彼のファン(だった)ひとも彼に憧れたフォロワーは心底がっかりするだろうから。
あ、どうなって欲しいとかはないです。