2013/11/16

オタクのソロプレイうんぬん。

そもそも自分がオタクなのかどうかがよく分かっていないというか、少なくとも自分で「俺はオタクだ」と自称することは一生ないと思うのに反応するのはおかしい気がする。がまあそれは置いとくことにしよう。

読んでて一番違和感があったのは、「輝くような情熱」というターム。そんなものを持ってないとオタクじゃないというのであれば俺なんかは端から今まで殆どずっとオタクじゃねえなあというのがひとつ。別に「輝く情熱」という言葉に「意識の高い(笑)」みたいな意味を見てそう言ってるわけではない。たぶんここでは「腹が減ったから物語を摂取する」というような感覚を「情熱」と呼んでいるのだと思うけど、俺について言えばそんな感覚はあっても半年に一回とかそういう頻度で、普段はただなんとなく時間があればスマホなりで電子書籍読んで、家帰ってなんとなくテレビつけるおっさんの感覚で録画アニメ見て、ただのルーチンとしてエロゲの体験版を漁ってプレイしてるわけだ。そこに「情熱」どころか積極的に物語を摂取しにいこうという感覚は全くない。そこまで多くはない自由時間の全てを費やしているとは思うけれど、息を吸うようなもんで、意思して行為しているわけではない。

つーか別に強い意思を持ってオタクコンテンツの消費者になったわけではないし、ゆっくり入っていってそれが今まで続いているだけなんだよね。別にこれを維持したいとも思わない。ただ、俺は極めてイナーシャの大きい人間なので、ほっといたらこのまんまかあるいはゆーっくり見なくなっていくかどっちかになるんだろう。

そう言えばあの文章はなかなか不思議で、「オタクをやめたっていい」と文中にあるにも関わらず、やめないためには群れる必要がある、と書いてあったりする。あと、ソロプレイでは健康を害し暮らしを害しといっていて、それなら生活をないがしろにしてでもオタクコンテンツを摂取するものだけをオタクと呼ぶのかと思ったら、暮らしと両立させて群れて「オタク」を続けることを推奨していたりする。

前者をオタクとして定義するならそこまで求道的でないものはオタクではないのだから、「群れたオタク」は語義矛盾でしかない。後者をオタクに含めるのなら、俺のようなゆるいオタクコンテンツ消費者もオタクであり、ソロプレイのオタクは暮らしや健康を害してうんぬんという前提は成立し得ない。

うむ、よくわからん。

まあもう一個の前提である、人間関係の充実が人間にとって幸せである、という概念が全くわからないというのも大きいのかもしれない。ナマモノ気持ち悪いんだよね。半年に一回くらい漠然と寂しくなって、半刻人間に触れればめんどくさくて嫌になってしまう程度には。

2013/11/10

WHITE ALBUM2 アニメ6話

ホワルバ2の6話みました。全体としては特に表情変化がくどくて個人的にはイマイチ。まあそれはいいんですが、アニメ見た後PC版追っかけプレイ(楽しい)やってたら印象まったく違って驚いたのでメモしとくことにします。

場面としては、春希が雪菜を連れだしてかずさの家に行った後、バンドのオリジナル曲である『届かない恋』のことを雪菜に知らせるところなんですけど、アニメ6話ではこんな感じ。

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かずさ 「北原が詞を書いて、あたしが曲を着けて、小木曽が歌う、三人のためだけの歌、だ」

これを聞いた雪菜は「三人のため」という部分にまず喜ぶんだけど、歌詞を読んで、『届かない恋』が誰が誰を思って書いた歌か気づく。ここで、歌詞を読む雪菜の声は視聴者に聞こえていて、雪菜の表情の暗さも見えている。その後雪菜が二人に何かを問おうとしているのも、雪菜がこの曲に対して何かしら思うところがあると示している。

春希「冬馬の奴、(歌詞を)一行も直さなかったからさ」

ここで雪菜が目を見開き、その後茫然とした表情で固まる。春希の言葉が耳に入っていないのがわかる。雪菜は一瞬唇を噛みしめ、意識的に笑顔を作って「夢は、大事だよね」と言う。そして『届かない恋』の練習が開始される。
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一方ゲームでは

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かずさ 「その詞… 小木曽をイメージして書いてるらしいぞ?」

ただし、「元の詞はもっと前にできて」いて、「雪菜がボーカルに来てくれることになったから、言葉の使い方とか、イメージとかだけ合わせ」たと春希が補足(声に出しているので雪菜にも聞こえている)。

かずさ 「北原が詞を書いて、あたしが曲を着けた、小木曽のためだけの歌、だ」

雪菜が歌詞を読むより先に、春希が「冬馬の奴は一行も直さなかったから不安でさ」と言い、また、雪菜が歌詞を読み上げる際に雪菜の声はほとんどプレイヤーに聞こえない。そして、ためらいはほぼなく、練習が開始される。

ただし、雪菜が"いつも以上に真剣な表情"で、「………頑張って、わたしたちの曲、完成させよ?」と宣言する。
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かなり違ってますが、アニメ版での雪菜というキャラクターに対する強い補足は個人的にはアリだと思います。

アニメ版で強調されたのは、『届かない恋』を歌う雪菜の意思です。PC版でも最後の「………頑張って、わたしたちの曲、完成させよ?」に表れているんですが、かなりさらっとしていて、俺みたいにぼけーっとプレイしてると気づかないレベル(雪菜さんホントすいませんでした…)。そのくせ、これ気づくのと気づかないのとじゃ学園祭ライブの見方が大きく変わってしまうという。

『届かない恋』ってのは歌詞聞きゃ誰でもわかるように、春希のかずさへのラブレターです。その詞にかずさが曲を着けて、よりによって雪菜に(大勢の観客の前で)歌わせるという残酷さが学園祭ライブにはある。

ここでもし雪菜がかずさの「小木曽をイメージして書いてるらしいぞ」なんてバカな言葉を信じて歌詞の意味に気づいてなかったとしたら、雪菜がただのピエロになってしまう。もちろん、実際には"いつも以上に真剣な表情"と「わたしたちの曲」という言い換えからわかるとおり、これは酷い誤読です。

アニメ版では歌詞を読む雪菜の声と表情のおかげで、こうした誤読が不可能になっていて、さらに雪菜が歌詞の意味を知ってなお、「三人のためだけの歌」にするために不快さを我慢して歌うことを決めたこともわかります。ゲームでちゃんと読めてる人にとっては風情がなくなっちゃったんじゃないかとも思うんですが、ゲームで誤読してた俺にとっては非常にありがたい改変でした。アニメで初見のひとにとっても助かる気がするけどどうなんだろ。

次回ライブだと思いますが、こう認識しなおした俺がステージに立つ雪菜さんを見てどう感じるのか若干こわい…(かずさ派)