2012/08/28

『LOVELY QUEST (ラブリークエスト)』 体験版 感想

ラブクエ体験版プレイしたのでその感想。

……買いますね♪

何でしょうね、この安心感。すごく純度の高い萌えゲーといった印象を受けました。俺が萌えゲーなるものに求めている要素だけをつめこんで他は全てうっちゃったような。まあとりあえず、公式の「ストーリー」をクリックしてあらすじを眺めてみましょう。なになに?『真の純愛を探す』ストーリー?

何言ってんだ!これは女の子品定めゲーだろ!

このゲームの筋は極めて単純です。主人公は"不純"異性交遊を取り締まり、節度ある"純"な恋愛を推奨する研究委員会『ラブリースマイル委員会』のたったひとりの委員に選出されます。ちょっと意味がわからないが、設定だから仕方ない。で、この委員会の活動なんですが、異性交友で発生するイベント――「手をつなぐ」(うらやましい)だとか「手作り弁当であーんをする」(これは別にいいや)だとか「膝枕」(ああ…)だとか「お風呂に一緒に入る」(残り湯のむだけでも幸せだよ!)――がお題として出され、それを主人公がヒロインを「指名」して実際にやってみる、というものです。しねばいいのに。

さて、太字強調した「指名」という部分ですね。体験版で実際にこの委員会の活動が、一回だけ体験できますが、このときに、誰にラブスマ活動をお願いする?って言ってヒロイン5人のうちからひとり選ぶことになります。

この時点で、誰を選ぶかを決めて一直線ならまあ千歩ゆずって「純愛」と言ってもいいでしょう。でもね、俺はそんなことはしません。こんな選択肢出たら、全員総当りして、反応をチェックして、一番好ましいひとりを選びます。つまり、何をしているかというと、まさしく品評会をやっているわけです。この娘のこの反応は素晴らしい。ここはこの娘!

なんかね、責められている気分になってきましたよ。そんなつもりはないんだ。俺はけっしてヒロインの品評会なんてやってるつもりはない!はずだ。でも、こうされると、品評せずにはいられない…。

おまけに、このゲームにはヒロイン視点でその日の活動とかを振り返る「ガーリートーキング」なるシステムがあります。ラブスマ活動して、ヒロインそれぞれを主人公視点で堪能するだけでも、十分に悶えることが可能であるにもかかわらず、そのときのヒロインの心情を、ヒロインが自分の部屋とかで思い出してヒロインのほうでも悶々としてくれてたりするんですよ。あーもう…。

とにかく構成が上手い。俺が知りたかったものが全てつまっていて、しかもそれのみで構成されている。ヒロインと〇〇する、という体験。そして、そのときのヒロインの感情。体験する側としての感情を擬似的にトレースし、さらにヒロインの感情を啜る。はっきり言って、これを素直に喜ぶことに敗北感はあります。でもさあ、あらがえないんだよねえ。

定期的に「ラブスマ活動」とそれに続く「ガーリートーキング」で二重に「ぎゃーかわいい!」のドーピングをされて、落ち着いたころに再びそれを繰り返す。さらに過激になったお題のせいで投薬量はどんどん増えていくんでしょう。たぶん副作用ひどいと思うけど、ドーピングしてる間は異常に興奮できることは確実だと思う。

参りました。俺が欲しかったのはこれです。

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純度に関しては、妹、幼なじみ、先輩、同級生、留学生なんていうベタすぎる配置もそうですね。とにかく要素を単純にしようという意図が感じられる。

ちなみに、今のところアイノに一番期待してます。体験版のおまけに入るまではいまいちだったんですが、おまけでアイノと一緒にカップルジュース飲んだ後、アイノ視点のガーリートーキングでやられました。恋愛とかよくわかんない娘が初恋っていうそれまで知らなかった感情に気づいていく描写をちゃんとやってくれるとしたら大変ですよねえ…。

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本編感想はこちら
http://sagaslave.blogspot.jp/2012/10/lovely-quest.html

2012/08/26

『さくら、咲きました。』 感想 (ネタバレあり)

『さくら、咲きました。』 プレイしたのでその感想。ネタバレあり

合いませんでしたねー。最大の理由は、「今日は地球が生まれてから、一番にぎやかな日になる!」っていう掛け声に象徴されるメッセージが、俺に向けられたように感じられてしまったから、そしてそれに全く共感できなかったからだと思います。

主人公たちはトコシエ、成長するが老いることはなく、永遠の寿命を持つ存在です。外傷によって死ぬことは可能だが、病気や寿命で死ぬことはない。だから、死というものは遠いものとして存在し、自分のこととして考えたことはない。そんな彼らが、小惑星サクラが地球に衝突し、人類が滅びるというニュースを受けて、死を見つめる。死を見つめることは、生きる意味を探すことと同義でありうんぬん。

各キャラクターがそれぞれの答えを出して、それぞれのやり方で、終わりの瞬間をどのように迎えるか、を描いた個別ルートは良かったです。特に美羽ルートは素晴らしい。いろんなもんを諦めてしまったキャラ(またか!)ですが、好きなもんはしょうがない…。

描写が良かったんでしょうね。特に、諦めたフリをしているけれど、漏れでてくる苛立ちの描写がいい。他人に踏み込まれるのは大嫌いで、いつもは吐き気がするような苛立ちを覚えるんだけど、なぜか苛立ちに心地よさを伴う相手が現れてしまった。自分から彼に踏み込むことは怖くてできない。だから隙を作る。踏み込んでほしい、決めつけてほしい、そして、独占してほしい。これが前半、主人公と結ばれるまでで、この辺りは完全に美羽に同期して読めました。この自己愛野郎!といった感じでアレなんですが…。

ただ、後半、特に隕石を迎えるラストシーンは美羽に圧倒されましたねー。落下する隕石をバットで打ち返そうとする、馬鹿げたおとぎ話のような虚勢。そうするしかない場面がある、と感じられた。敵わないことは知っているから、嘆くことはしない。諦めているのだけど、抵抗する意思を示さずにはいられない。

あー、すげえなあって。このシーンについては、CGも良かったんでしょうね。

で、この辺までは結構良い感じで読めてたんですけど(ただし共通はだるかった)、その後、つばめルートから、さくらルート、桜ルートとつながる本編ですね。これが全く合わなかった。

つばめルートに関しては単に、主人公とつばめ以外の他者がお膳立てしてくる展開が嫌いだっていう話です。生活部の仲間か何かしらないけれど、それは他人でしかない。二人で完結してほしいんですよね。まあ好みの問題ですが。

その後の展開についてはそれなりに驚きはあったんだけど、事実を提示された時点でこの物語の重点は「充実した生を送るために」なんだなあ、と思ってしまって冷めてしまいましたね…。いや、ちょっと違うかな。「生きるためには毎日何らかの特別なことをして楽しまねばならない」といったほうが俺の受けた印象に近い。

これが例えば、100年生きた特定の人間の心情としてのみ提示されるのであれば良かったんだと思います。某ヒロインのルートなんかはすんなり読めましたし。

ところが、最終的には、全員の掛け声、「今日は地球が生まれてから、一番にぎやかな日になる!」によって締めくくられる。グランドルートにおいて、あたかも俺に語りかけるように、です。

知らんがな。

2012/08/22

「何者かになりたい」?

「何者かになりたい」って感覚、やっぱりピンと来ないので書きながら考えてみる。

まず「何者か」ってのはなんなんだろう。モデルが存在するのかどうか。実際に会ったことがあるひととか、見聞きして知っている(つもりになっている)ひととか。存在するのであればそのひとに憧れという感情を抱いているはずですよね。で、ああ、あんなふうになりたいなあって思う、と。

これなら理解できる。ただ、自分がその思考をトレースして「何者かになりたい」って思うかというと、ちょっと無理かなー。この場合は要するに「憧れ」という感情を抱くかどうかっていう話だと思うんだけど、俺「憧れた」経験ってないんですよね。

何でかなーと考えたとき、たとえば「あのひとあんなにすごいけど所詮うんこもするし云々」って考えて「憧れ」に至らないってパターンが思いついたけど、これは違う。茶化すための手法として思いつくことはあっても。この考え方では結局他人と自分を同程度のものとして考えることで「憧れ」という矢印を否定しているんだけど、そうではない。

どうやら、0の大きさを持つ矢印ではなくて、そもそも結ぶことができてないんだと思う。他人と自分を繋ぐことができていない。自分を原点にとったとして、同じ座標に他人が存在していない。というわけでこのパターンは無理。

で、次に「何者か」が存在しないパターン。この場合は「何者か」がいないわけだから、基本的には(例外は後述)「何者かになりたい」というのは正確な表現ではなくて、「何者かになって〇〇したい/されたい」ということですよね。そうで無ければ何でもいいわけで、常に達成されており願望として成立しない。

ここで願望の本質となっているのは後半の「〇〇したい/されたい」という部分。これを単体で見れば俺にもあります。すぐ思いつくのは幼なじみと商店街デートしたいとか妹にわがままいわれたいとか。

でも、「何者かになることで」それを達成したいか、と言われるとピンとこない。この願望は「俺」が達成したい欲望であって他の「何者か」――それは俺と接続しない――の欲望ではないから。ひな鳥ではあるけれども、そういうもんでしょう。

例えば俺が俺ではない「何者か」に変身する能力があったとして、それで願望を叶えたところで全く嬉しくはない。学校一のモテ男くんになって、俺の好きな子とセックスができたとしましょう。嬉しいわけがない。ただの寝取られじゃねえかそれ!

つーわけで「何者かになって〇〇したい/されたい」ってのもピンとこない。あと思いつくのは、これがさっき()書きした例外ってやつですけど、単に自分が嫌いであって、自分以外なら何でもいいので「何者か」になりたい、というケース。

これはわかりやすい。ただ今となっては、もうこういう気持ちは抱けなくなってしまったと思う。この手の感情は、ほとんど理不尽な願いだから、執着しつづけるのはとても難しい。俺はもう自分が好きでも嫌いでもない。正確に表現するのであれば「こんなもんだ」と把握してしまっている。

あーそうか。何てことはないですね。単に年をとったということか。

2012/08/19

織塚

『終わる世界とバースデイ』の織塚の話。

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「終わる世界」の虚しさを本当に知っているのは、織塚だけなんだよね。

バグによって生まれた、主人公と織塚だけの世界。たった2日しかなく、リセットされれば主人公は全てを忘れてしまう。

リセットされることで無意味にされてしまう時間。しかも彼女自身がリセットボタンを押さねばならない。それが彼女の役割だから。役割を全うしなければ、彼女は「終わる世界」にすら存在を許されなくなってしまうから。そうしたら、彼と過ごした時間の記憶さえも失われてしまうから。

たとえ無意味にされる時間でも、忘れたくはない。だれにも邪魔されず、先輩に触れられる時間を忘れたくはない。そして、たとえ意味などなくても、自分の想いを伝えずにはいられない。

「入莉」と主人公のためにという理由で存在を許された、「入莉」の失敗作としての彼女。バグのない「終わる世界」では主人公に想いを告げることはできない。でも、バグによって生じた世界では想いを告げることができる。彼に、ちゃんと、触れることができる。

それが、とても嬉しい。

彼女が無意味と知って「けしからんドリーム」を見続けるのであれば、俺も無意味と知りながら、彼女の夢を見続けよう。そんな戯言を頭に浮かべながら、「After 17th」をループしている。

『終わる世界とバースデイ』 感想

『終わる世界とバースデイ』をプレイしたのでその感想。

今年発売されてプレイしたゲームの中では一番良かったです。(ネタバレしたところで魅力がなくなるとは全く思いませんが)とりあえず前半はネタバレなしで。まず公式のストーリー紹介。

2012. 9. 29――その日、世界は終わった。 
ツクツクボーシの声が虚しく響き渡り、誰もいない街に夏の終わりを告げている。 
もう僕にできるのは、最後の瞬間まで”彼女”と添い遂げることだけ… 
でもせめて、残った者の義務として―― 
この世界がいかにして終わりを迎えたのか、その経緯を伝えようと思う。 
僕と”彼女”が、確かにここで生きていたという証を。 
そして僕らの世界が終わりを告げるまでの、永遠にも似たひと月足らずの物語を。

しかし、プレイした後で見ると、意味しか込められてないような文章ですね…。このゲーム紹介にあるように、2012. 9. 29に終わりを迎えると予言された世界が物語の舞台です。正確さは欠きますが、「終わる世界」の謎が各ヒロインの個別ルートで徐々に明かされていき、最後にTRUE ENDがある構成だと思ってもらえればいいかと。

ただし、謎とか世界設定が面白いゲームではないです。個別でさらに謎が深まったり、新たな真実が明かされたりしますが、これは続きが気になって読み進めさせてくれる程度の面白さでしかないです。むしろそっちに期待しすぎると、明かされる真実とそれに対応する方法の既視感にしらける可能性があるかも。

このゲームの重点はそこではない。語られているのは、他者を想うやりかたについてです。自分の想いとその対象である彼女の想いが一致しないときに、「俺は彼女が好きだ」を理由にして彼女に何をしていいのか。何ができるのか。

ちなみに、この辺の話はTRUE ENDで描かれるんですが、他者との距離感に気をつかってあるので、「終わる世界」の不穏な空気にも関わらずゲーム内の雰囲気は居心地がいいです。

キャラについては、入莉と織塚の二強ですね。入莉については体験版やった段階でハマりましたが、個別でも凄かったです。自分がずっと好きだった幼なじみが自分のことを「兄さん」だと誤認してしまっていて、「入莉のために」真実を明かすことはできない、という状況が見事に生かされてます。「兄さん」と認識されたまま入莉と結ばれるということによって生じる葛藤の描写は素晴らしいです。寝取り寝取られにつながるエロさも生んでましたね。Hシーンの犯罪臭がすごかった…。

逆にラーメン狂いの織塚については、体験版の段階ではまっっったく興味なかったんですが、完全にやられましたね…。ちゃんとした個別ルートはないんですが、キャラ設定がひきょう…。ちなみにこの娘だけ片岡ともさんが書いたそうで。

ラストについては細かいことは書きませんが、Happy Endではないです。怒りとか悔しさとかではなく、哀しさと罪悪感のようなものが残ります。


ネタバレなしだとこれくらいですかね。以下ネタバレ。










何を語るにもまずは必要な世界設定について。

主人公たちがいる終わりが予言された2012年の世界(=「終わる世界」)は主人公と入莉の実の兄である陶也によって作られた擬似現実でした。現実世界は現在2022年であり、そこにはすでに入莉は存在していません。入莉は2010. 9. 29の誕生日に事故死しています。入莉が誕生日プレゼントとして主人公にバイクの後ろに乗せてほしいと頼み、そのときにバイク事故に遭った、と。

そんでその後、主人公と陶也は入莉を蘇らせるため擬似現実の研究を進めて、入莉の幼なじみと兄である二人の記憶と入莉の生前のデータから「人工意識体」である「入莉」を生み出すことに成功。肉体を持たない彼女のために作られた世界が、擬似現実である「終わる世界」です。

「入莉」を生み出すにはかつて入莉が住んでいた世界と矛盾しない世界を用意してやる必要があります。だから擬似現実にもかかわらず「入莉」は入莉と同じく弱視設定になってる。その一方で、2012年という入莉がすでに死んでいるはずの世界に「入莉」が存在するためには、バイク事故があったという事実を残したまま「バイク事故で死んだのは陶也である」という偽りの世界設定を導入する必要がある。しかしこれはけっこう難しい。なぜなら主人公と陶也の記憶から生み出されたばかりで自らの記憶を持たない「入莉」はかなり不安定で、兄である陶也が死んだというような悲しい事実を知った段階で「狂って」しまうから。それを避けるための苦肉の策が、「兄である陶也の事故死のショックのせいで、幼なじみである主人公を兄だと誤認している」という設定です。

そんな不安定な「入莉」を安定なものに成長させるために必要なのは自らの体験に基づく記憶です。そこで主人公と陶也は「入莉」を育成するため、この擬似現実を「過去を体験できるゲーム」と偽って売り出し、擬似現実を生きるプレイヤーキャラとして100人の人間を生贄として用意します。彼らは2012. 9. 29に「終わる世界」を「入莉」の育成が終了するまでループし続けることになります。ループしているという事実を知ることなく、勝手に無意味にされる生を繰り返す(ちなみに主人公も当初はループしている事実を認識してません)。

ただまあ、ひどい!とはなんないですよね。入莉のために100人を犠牲にする?むしろそうでなくっちゃ!ってなもんで。要するに、誰かを選ぶという行為は、その他100人の重さと選んだ誰か1人の重さを違うものとして扱うと決めることだとみなしているわけですな。

でも、「入莉」がそれを望まなかったら?というのがこのゲームの問いです。

ループを繰り返して成長し、安定した自我を手にした「入莉」は、自分のために存在する全ての人を現実に還したいと願います。弱視というハンデのせいで、陶也兄さんやまわりの人たちに「迷惑」をかけて生きるのがずっと嫌だった彼女にとって、死んでからもまた「迷惑」をかけるのは耐えられないから、というのが一つ目の理由です。

さて、これだけの理由だったら当然、「迷惑」なんかじゃねえ!と主人公と陶也が言って終わるのが正解なわけです。実際、彼女がプレイヤーを還そうと思っているのを知った主人公は、100人のプレイヤーを還すが、自分と陶也は「終わる世界」に残って3人で「入莉」と生きようと考える。全くもって正しい。好きな人と、永遠の世界で生きるとかいいなあ……。

ところが、「入莉」はそれを許さない。彼女のために主人公が何か(現実)を捨てることはだめだ、と言います。たとえ主人公にとって「入莉」がいない現実など一切価値がなかったとしても、「入莉」のために何かを無価値化するような行為は彼女からすれば「犠牲」でしかなく、そう思ってしまった段階で主人公と「入莉」は対等な関係ではいられなくなる。それで一緒になっても「入莉」にとっては無意味なんです。なぜなら、彼女が好きになったのは、彼女に「ふつう」に接してくれた、彼女が唯一対等な関係でいられた、幼なじみの男の子なのだから。

「入莉」のことが好きだから、「入莉」を自分より上位に置いた。だから、「入莉」にフラれた。

要するにそういうことで、ほんとどうしようもない。もう「入莉」の思うままに任せるしかない。それが自分の望みとは違っていても、彼女に許可されない限りどんなものであれひとりよがりの欲望でしかないのだから、それを行為に移すことはできない。もちろん、衝動によって体は震える。いくら「入莉」の望みでも彼にとってはそれでいいわけがないのだから。

ただ救いがあるのは、「入莉」によって「終わる世界」が壊され、消える擬似現実の中、最後に再びわずかな時間であれ、主人公と「入莉」が対等な関係になれたということでしょう。彼ら以外の全ての人間が消え、「終わる世界」が消え、ただ二人だけが残った世界で、対等な二人があらためてお互いに恋をする。初めて出会った子供のころと同じように。そして二人は最初で最後のキスを交わす。

綺麗なシーンです。俺はもうここで終わっていたほうが良かったと思いますが、最後に主人公が現実に戻り、だいぶ時間が経った後のエピソードとして、主人公を還した後のわずかな時間に「入莉」が主人公あてに残したメッセージが主人公の誕生日に届きます。メッセージは、

「ハッピーバースデイ、兄さん」
「あなたの誕生日と、あなたのこれからの未来が、幸せなものでありますように――」

……きっついなあ。